第116回・2017年1月31日 秋田犬と子ども 前回、前々回に続き、秋田犬をテーマにもう一題。40半ばほどの夫妻が秋田犬発祥地、秋田県大館市の公園で1頭の秋田犬とともに散歩をしていた。公園内で友人らと遊んでいた小学校高学年とおぼしき少年が、その秋田犬に興味を覚えたらしく、足早に駆け寄ってきた。「こんにちは」の一言を支度するでもなく、少年はおもむろにしゃがみつつ両手で秋田犬の両頬をはさみ、スキンシップとばかりにゆすってみせた。 夫妻と少年に、面識はない。唐突な行為に夫は不快そうな表情を浮かべ、ふだんからおとなしい秋田犬にもかかわらず、夫人は「いきなり近づくと危ないよ」と語りかけた。「撫でてやってるのに、何だよ」とでもいいたげな仏頂面を向けるや、少年は何も言わず友人らのグループのもとへ走り去った。「今どきの子どもは、躾がなってないなあ」。夫は、ぽつりと言った。 こうした経験をもつ秋田犬飼育者は、意外に多い。筆者も少なからず目にしてきた。秋田犬へのアプローチの仕方、態度で、その子どもがどのような家庭教育、躾を受けてきたかが判る、と言っても過言ではない。秋田犬がなかなかお目にかかれぬ存在だからといって、飼い主に対する礼儀もなしに触っていいというものではない。「子どもなんだから、それくらいいいじゃないか」と思う方もいるかも知れないが、たとえ子どもであろうが子どもには子どもなりのマナーがなくてはならぬと考える秋田犬飼育者は、実は少なくない。 無論、子どもに理想的な礼儀を求めているわけではない。だが、長い人生を歩んでいくにあたり、幼児はともかく、一定の年齢になったら最低限のマナーは必要であろう。それが身に着いているか否かは、親の躾にかかっている。つまり、秋田犬に無言で触れる、触れないだけの問題ではなく、その子どもがどの程度の躾を受けて今に至っているかを垣間見せている。躾がおざなりな親ほど、「礼儀は学校で教えるもんでしょ」などと平気で宣う。かつてコラムで取り上げたが、「子どもが子どもを産む」例はあまりにも多く、結果、満足に挨拶もできぬ少年、少女が巷に溢れている。 例えば、「これは、秋田犬ですか」と、見ず知らずの子どもが切り出したとする。「そうだよ、よく判ったね。触ってみるかい」などと、飼い主の多くは返してくれる。これによって子どもと秋田犬飼育者との間に、円滑なコミュニケーションが芽生える。 自然、かつ、何らむずかしくないことのように思えるが、それが親の躾を背景に根本からできぬ、またはできるのかも知れないが「そんなの、めんどくせえよ」と考える子どもが少なくない。 他都道府県に比べて秋田県人は、口が重い。「どさ」「ゆさ」という、極度に短い会話がかつて存在していたほどだ。簡単に注釈すると、一方が「どこへ行く」と問う。他方が「湯(銭湯)さ、行く」と返す。長く、厳しい冬を耐え忍ばなくてはならぬ雪国、秋田の人は凍えそうな唇をできるだけ開けまいとする傾向が古(いにしえ)よりあった。ゆえに、最も短い会話で済まそうとする行為が身についた。その最たる例のひとつが「どさ」「ゆさ」であろう。 無論、秋田にも「おしゃべり」はごまんといるが、筆者の"経験値"からすると、秋田犬飼育者らを含めて秋田県人は概して口が重い。「おもてなし」などと全国こぞって叫ばれる中、よく言えば「朴訥」、悪く言えば「ぶっきら棒」な人が多い秋田は、「おもてなし」=相手が快く感じてくれる接し方=が全国で最も下手な県であるように思える。それは、県内のさまざまな接客の場に足を運べば確信がもてる。 例えば、地元大館の大型店では店員が客の隣に立ったとしても「いらっしゃいませ」などと言うことはほとんどなく、ひどいときは「商品チェックをしてるんだから、邪魔するな」とでも言いたげな"無視ぶり"をごく普通に示す。県外の男性客が挨拶ひとつできぬ女性店員をどやしている光景を、ショッピングセンターで最近目にした。地元市民ですら、接客マナーに乏しい店員を不快に感ずるのに、県外から訪れた人にはなおさらであろう。 そうした"県人気質"の表れとして、秋田犬にアプローチする際、「初めに挨拶ありき」がまったく身に着いていない子どもたちが秋田県内には少なくないのかも知れない。たとえ秋田県人とはいえ、さすがに大人は一言告げてから秋田犬に触らせてもらうだろうが、それでも「何も言わず、いきなり」の、小学生と大差のない若者も数多く見てきた。 全犬種の中で、秋田犬の注目度は高い。そうした中で、秋田犬飼育者、そして秋田犬とのふれあいを望む人々が互いに気持ちの良いひとときを過ごすために、最も必要なのは礼儀であろう。たとえ子どもであっても、一定の年齢に達していれば例外ではないと考えるが、いかがだろうか。 |