デスクの独り言

第115回・2016年12月6日

秋田犬のいない秋田犬の里

 先のコラム「秋田犬と観光振興」に続き、秋田犬を論じてみたい。先日のこと。公共放送の県内局が県内の人口減少をシリーズ化した特集の中で、人口減少を背景に発祥地の大館市で秋田犬がいなくなっている、と報じた。笑う、というのはいささか失礼かも知れないが、苦笑せざるを得なかった。秋田犬の姿を大館市でほとんど見ることができない主因として、無理やり人口減少と結びつけようとする視点の甘さに、何でもありの民放ならともかく、それでも公共放送かと言いたくなる。

 県が公表した大館市の人口は、11月1日現在で7万3,184人。今後100人の増加すらあり得ないが、大館市の人口が仮に1万人増えたとしよう。それほどの人口増があったとしても、市と秋田犬保存会の地元県北支部がよほど強力なスクラムを組んでテコ入れをしない限り、秋田犬飼育者の増加数は数人規模、と容易に察し得る。

 人口だけで論じるなら、東京都が良い見本だ。一極集中の東京は、人口増がとどまるところを知らない。それに伴い、秋田犬飼育者が目立った増加を示しているかといえば、否である。

 都内で秋田犬を飼育している知人が、秋田犬保存会東京中央支部展を見物し、落胆を隠しきれずにいた。「出陳頭数も、見物客もとても少ない。東京は人であふれているのだから、支部展も大盛況と期待していたが、とんだ当て外れ」と。東京ですら、そうなのである。にもかかわらず、公共放送県内局はなぜ短絡的に「大館に秋田犬がいなくなった=人口減少」などと、大上段から振りかぶって報じることができたのか。民放以上に公共性が強い放送媒体に、視聴者は一目を置く。公共放送の誤った報道、見解にも「そうか、大館で秋田犬を見られない原因は人口減なんだ」と信じ込んでしまう。そこに、恐さがある。

 大館市に限らず全県的に秋田犬が減少の一途をたどる危機的状況の中、先細りの最大要因はベテラン繁殖者らの高齢化に伴う引退と、後継者が皆無に等しいという点である。公共放送県内局は老人がぽつんと1人、秋田犬と散歩をしている寂寞とした光景も映し出してはいたが、真に炙り出すべき姿は数十年の秋田犬人生の中で数多くの秋田犬を世に送り出してきたベテラン繁殖者の実像なのである。

 "秋田犬の生き字引"と称しても過言ではない、大館で最も貴重な重鎮らがこの数年で複数姿を消した。残ったベテランは、きわめて少数だ。すでに80歳前後の職人気質の彼らが引退または世を去ることで、新たな秋田犬の命は生まれない。結果、秋田犬がいない、に直結している。これに後継者皆無という"致命的要素"が加わる。

 さらに、大館もチワワなどに代表される小型洋犬やミックス(雑種を含む)への志向性が全国的傾向と同様に強く、秋田犬の飼育など眼中にないようにさえ見える。それもまた、秋田犬が増えていかない主因の1つだが、当然といえば当然である。「カワイイ〜」と言いつつ、多くの犬好きはヌイグルミ感覚で手っ取り早く飼える小型犬に目が向き、腹をくくらないと飼育できない大型犬の代表格、秋田犬と暮らすモチベーションには至らない。

 大館市は本年度、秋田犬保存会と共同で「秋田犬オーナー制度」を創設した。保存会会員犬舎で産声をあげた子犬のオーナーになってもらうのが取り組みの趣旨。餌代などを負担する代わりに、オーナーはインターネットで子犬の成長を見守る。

 これと対比できるのが「緑のオーナー制度」。大館は日本三大美林の1つ、秋田杉の産地である。育成中の秋田杉について国とオーナーが契約を結び、伐採した杉の収益を分け合う制度。秋田犬オーナー制度は緑のオーナー制度の秋田犬版ともいえそうだが、応分の負担を求めるにもかかわらず、緑のオーナー制度のようなハード面での実利性は皆無である。ネット上で秋田犬の成長を見守るだけのことに、いかほどの人が魅力を感じるだろうか。それによって秋田犬は微増するかも知れないが、「何もしないよりはマシ」の付け焼刃にすぎない。

 そして、「秋田犬ふれあい隊」(地域おこし協力隊)。県外の4人の女性が大館に移り住んで2頭の秋田犬の世話をし、定期的にふれあいの機会などを設け、ネット上で日々の様子を発信している。裏を返せば、地元から後継者が育たないため、県外人を頼みの綱にせざるを得ない切羽詰まった実情を如実に示している。彼女らが大館に骨を埋める覚悟なら、いささかなりとも意義はあろう。

 しかし、"大館人"にはなり得ず、数年後にはこの地を去る。とどのつまり、秋田犬を県外人に世話をしてもらい、それをアピールするのは何もしないよりマシ、のレベルにすぎず、地元での秋田犬増につながるとは到底考えられない。彼女らが大館を去った後も、引き続き苦肉の策で県外から募るであろうことも察しがつく。

 「秋田犬の里、大館」を形骸化しないために最も肝要なのは、消えゆくベテラン繁殖者たちの後継ぎを"大館人"の中から1人でも多く増やしていくことだ。そのための施策の1つに、新たな飼育希望者に飼育費を助成する取り組みが挙げられる。「餌代を助成してもらっても秋田犬を飼いたいとは思わない」と市民のほとんどが考えるなら、空振りに終わるかも知れないが、こうしたハード面の方策は試す価値があろう。市担当課は「考えている」とのことだが、お役所特有の「のんびり感」と緊張感の乏しさは否めない。

 本題に話を戻す。秋田犬減少の主因は、人口減少ではない。前述のいくつかの要因が絡み合いながら、抜き差しならぬ現在の状況に至っている。行政が本質を見誤ると、市民の血税に基づく施策が意味をなさないものになる。秋田犬のいない秋田犬の里を立て直す。今がその正念場である。それをなさない限り、国、県をも巻き込みながら秋田犬のいない秋田犬の里にあの手この手で観光客を呼び込んだところで、笑われるだけである。

 1コラムの指摘や提言に市が耳を貸すとは、到底思えない。議会や団体など組織としての"問題提起"がない限り腰を上げないのが、連綿と続く大館市の体質であることを、筆者は昭和50年代から記者として見続けてきた。誤った方向に舵を取ろうとしている市の姿勢を、憂慮せざるを得ない。「臭いものに蓋を」とばかりに本質的な問題を棚上げし、「秋田犬で観光客を呼び込め」と舞い上がっている現状を是正する一般市民や市議会議員が、1人でも多く現れることを願うばかりである。