第98回・2011年6月10日 あれから3カ月 戦後最悪の災害、東日本大震災からあす11日で3カ月。「未曾有の」という表現が陳腐に思えるほどの被害の甚大さに唖然とするばかりで、コラムで取り上げる気力が湧かなかった。また、3カ月後の東北は、そして日本はどう変わっているのか、という思いもあり、"何か"が見えてくるまで筆を取るまいと考えたのも事実である。 3カ月経ち、何が変わっただろうか。家や家族を亡くした人たちは無数、とも形容し得る。命からがら生き延びた人の多くも、失ったものは果てしないだろう。未だ誰の眼にも触れられずにいる遺体を含む行方不明者は8,100人余にのぼり、身元の判らぬ遺体は約2,000人を数える。そして、天災ならず、まぎれもない人災の福島第1原発事故。やり場のない怒りをかかえつつ、多くの人たちが家に近寄ることもできぬ生活を強いられている。 一方で、大震災を機に日本人の多くが認識を新たにしたこともあるような気がする。日本人の結束の強さ、助けあいの精神の豊かさ、復興に向けた底力の強さ等々。無論、「ほぼ完全に復興した」といえるまで5年かかるのか、10年かかるのかは、ある程度の予測はできても明確には誰にも分かるまい。しかし、東北は、そして日本は復興に向けて確かな足音で一歩、一歩と突き進んでいるように思える。戦後の復興とは同一線上で語れないまでも、似たような感覚がある。 立ち止まることなく、1日も早く国民が満足できる復興を進めなくてはならない最中、「政治家」ならぬ「政治屋」たちの、あの"茶番劇"は何なのだろう。「菅政権では、復興はおぼつかない」「菅氏が総理を辞めるのが国益につながる」などと、自民党の谷垣禎一総裁はぶちあげ続ける。 そもそも自民は、国民に飽きられ、匙(さじ)を投げられ、民主に与党の座を奪われたのではないか。その後の選挙で巻き返しを印象づける「いいムードになってきた」からといって、「民主と違い、自分たち自民は立派に復興へ導くことができる」などと考えているとしたら、思い上がりも甚だしい。 昨年4月10日付の第92回コラム「嘘つき党」の冒頭、「壁はまだ新しいのに、漆喰がぼろぼろ剥げ落ちている」の表現のとおり、民主はみずからの手で漆喰をぼろぼろに剥がし、墓穴を掘り、国民の信頼を失ったにすぎない。 ゆえに、国民は「再び自民の手による政治を求めている」のではない。「民主では国が際限なく悪くなるばかりだ。また、自民にやらせてみるしかないのか」というあきらめムードのようなものが、国民の側にあるにすぎない。旧態依然とした自民になど、圧倒的多くの国民は何も期待していないだろう。 菅直人首相の"あれ"も見苦しく、哀れにさえ思える。そんなに、首相の椅子にすがりついていたいのか、と。「一定の」という表現は、政治屋ならではの言い回しだ。いついつまでやらせてほしい、とは言わず「一定の」と濁した。福島第1原発を含め、復興に一定の展望が見えてくるまでには、早くて1年、場合によっては数年を要する。 何を「一定の」と見るかによって、期間の尺度は異なるが、菅総理はその期間をぼかすことによって、1日でも長く首相の座にとどまりたい、という胸中が見て取れた。それに対し、「詐欺師」呼ばわりした鳩山前首相をはじめとする党内の幹部などが菅氏を突き上げたため、「8月をめどに」と示さざるを得なくなったと容易に推察できる。 復興に向けて政府与党がやらなくてはならぬことは山ほどあるのに、民主内では早くも次の首相候補を決める"詮索"で頭がいっぱいだ。民主は、どこまで国民を愚弄すれば気が済むのか。あろうことか、あるまいことか、外国人から違法献金を得た責任を取って、春に外相を辞したばかりの前原誠司氏までもが首相候補に名を連ねている。周囲に推されれば、本人はしらっとした顔で首相の椅子を目指すつもりでいるのだろうか。前原氏も当面は明確な意思表示は避けるだろうが、違法行為によって閣僚を辞したばかりの人間が、今度は首相になろうとする野望があるとすれば、まさに「開いた口がふさがらぬ」とはこのことだ。 いずれにせよ、今は政争にうつつを抜かしている時ではない。3カ月経った今も被災地は依然困窮の度をきわめており、日本経済も大震災の影響をもろに受けている。政治屋に任せておけないため、民間レベルでさまざまな取り組みがなされているが、復興への根幹をなさなくてはならぬのはやはり「国」であり、「政府」である。それが、国民から及第点を得られるような機能をしていない。であるがゆえに「今の首相を辞めさせれば何とかなる」「今こそ与党奪還」などという陳腐な発想ではなく、復興に限定した大連立でもいいから、とにかく全党が一致団結して復興に全身全霊を注ぐべきである。 |