デスクの独り言

第73回・2006年7月21日

忘れられた色

 最近、やや気になる問い合わせメールが届いた。大館市で生まれ、全国に知られる忠犬ハチ公の色についてである。ウェブサイト上で公開されているハチ公の剥製の色は白に見えるが、その真偽を知りたいというのが問い合わせの趣旨。

 今(平成18年)現在は一般公開を取りやめているが、ハチ公の剥製はかつて国立科学博物館・みどり館2階(上野公園)に展示されていた。ハチ公が亡くなったのは昭和10年3月8日で、それからほどなくして剥製にされたと思われる。剥製にされてから実に70年余が経過し、当然のことながらそれほど長い歳月、修復の手を加えないままでいると色あせ、本来の色を逸してしまう。

 展示されていた剥製の写真を見ると、まだら状ながら頭部や耳の一部にうっすらと赤が見て取れる。また、背中のあたりからは肉眼での確認がむずかしいほど微かに、赤の余韻が感じられる。現代の剥製修復技術を持ってすれば、かつての色を取り戻してやるのはそれほど難易度の高いことではないはずだ。にもかかわらず、国立科学博物館、つまりは国が何もせずにハチ公を本来の色である赤ではなく、白と判別のつかない状態にし続けたとすれば、その認識はどのあたりにあるのだろうか。

 ハチ公は、南極をたくましく生き抜いたタロやジロとともに、人の心を打つ、いわば日本を代表する犬である。そうした歴史的遺産に位置づけられるハチ公の剥製が見る影もなく色あせていくことに、何も手を打たないできたとすれば、その姿勢はいささか疑問だ。そうした姿勢を反映し、ネット上で公開されているハチ公剥製の写真を見て「ハチ公の色は白」と自信ありげに指摘したり、「赤なのか白なのか分からない」と首をかしげる日本人は、今後ますます増えるだろう。

 ハチ公の色について事実誤認する日本人が増えていくことには、彼の生まれ故郷に住む者としては寂しい限りだが、それもある意味、時代の流れでやむを得ないのかも知れない。つまり、保管する国立科学博物館のせいにばかりはしていらいない、ということだ。

 例えば、ここ大館市の市民に「ハチ公は何色?」と訊ねたとしよう。ためらわず「赤」と答えられる者は、10人中2、3人ほどではないだろうか。あるいはもっと少ない可能性もある。市民の口からハチ公を話題にされることは、供養祭などハチ公関係のイベントが開催されるときでもなければ、ほとんどないようにすら思える。郷土を知る社会科の授業では、どれほど取り上げられているのだろうか。ハチ公の色などすっかり忘れ去られ、「ハチ公の色は何色でしょうか」とクイズ番組に出題してもいいほどの時代になったのかも知れない。

 渋谷の忠犬ハチ公は銅像であるが故に、その素材からハチ公本来の色を知るすべはない。というより、ハチ公は何色かなど全国のほとんどの人は興味がないだろうし、つまりは何色でもいい、ということになる。ハチ公の色をきちんと認識しているのは、仲代達矢氏や八千草薫さんが主演した映画「ハチ公物語」を記憶にとどめている人や秋田犬を深く愛する飼育者たちぐらいのものであろう。せめて、正しく"歴史"を後世に伝えるためにも、再びハチ公の剥製を展示する日が来たら、生きていたころの色に戻して見学者に再公開するよう、国に望みたいものだ。