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デスクの独り言

第129回・令和3年9月25日
 
「未接種難民」

  
 さる8月30日に新型コロナ関連のコラム「愚の極み」を公開して以来、1カ月近くにわたって「ワクチン未接種者の最大の受難は目前に迫っているのではないか」との危惧が、筆者の胸を去来し続けた。その間、微力ながら当コラムで未接種者に警鐘を鳴らしたいとも考えたが、踏ん切りがつかずにいた。

 今コラムで取りあげることを決意させたのは、一部報道機関が今月23日にインターネット上で公開したニュース。米国では、ワクチン未接種者の感染が猛威を振るい、入院、治療費などワクチンを接種していれば防げたコストが8月だけで少なくとも37億ドル、6月からの3カ月間で57億ドルにのぼったことが米NPO「カイザー・ファミリー財団」の調査で明らかになったという。この記事により、筆者の危惧は漠然とながら確信に変わった。

 国民に対するワクチン接種者の割合は日毎に上昇し、このうち県内では今月10日に開会した9月定例県議会初日の知事説明で佐竹敬久知事が「ワクチン接種は市町村での一般接種が11月までの終了を目指して進められている」とした。「11月までの終了」とはあくまでも接種希望者に対する見通しで、終了以降、未接種者は半ば放置状態になることを意味する。

 全員というわけでないながらも、ワクチン接種者は感染しても軽症で済むか、まったく症状が現れない「キャリア」と呼ばれる保菌者が大勢を占める。感染が疑われる症状を感じた接種者は、PCR検査を受けて感染が判明するため「まだまし」といえよう。

 筆者が危惧しているのは、症状がまったく出ないがゆえに自分は健康だと信じ切っている保菌者が、県内はもとより全国にうようよいると推察される点である。保菌者は、家族や職場の同僚などが感染して濃厚接触者にでもならない限り、PCR検査を受けない。最近県内で出ている感染者も少なからずが、症状がなくPCR検査で初めて感染が判明した無症状の保菌者だ。

 すでに全国に五万といるであろう保菌者は、保菌者同士で感染し合っても一見何の変化もない。つまり、それが日常化する。問題は、それら保菌者がまったく抗体を持たない未接種者に感染させた場合、未接種者は重症または死に直面する重篤な事態に追い込まれるリスクがきわめて高いという点。未接種者への感染が米国で猛威を振るっているという形ですでに表面化しており、報道機関が取り上げないだけで、日本国内でも同様の事態に陥っている可能性は高い。

 未接種者については、こうした生命にかかわる問題に加え、差別的課題も浮上しようとしている。政府が接種者優遇の政策に舵を切ろうとしている感があり、近い将来、全国のさまざまな場で「この施設に入るには接種証明書が必要です」といった類の、いわば未接種者の行動や権利が制限される社会風潮になっていくことが懸念される。「接種証明書がないと当社の航空機には乗れません」「接種証明書がない方は入店をお断りしております」等々。

 無論これには「ひとりでも多くの国民に接種して1日も早くコロナを終息させたい」という政府の思惑が大きく絡むが、基本疾患があってどうしても接種できない人、ワクチンそのものへの不信感を払しょくできない人など、一定の割合で未接種者は最後まで必ず残る。全国民が接種する、などということはあり得ない。

 未接種者は現時点ですでに生命の危機に直面しているといっても過言ではなく、これに加えて目前に迫っている差別的風潮にも抗うことはほぼ不可能で、まさに「未接種難民」と呼ばれる時代は近いと考えられる。

 己の命や権利を護るために未接種者は接種以外に選択肢はないのか、あるいは、感染しないためにほとんど外出せぬ非現実的な生活をみずからに課すことになるのか。未接種者は今、きわめて重要な選択を迫られる時期にさしかかっているといえよう。