デスクの独り言

第95回・2010年9月30日

高齢者への接し方 

 ずっと以前から、「なぜ、そうなるのだろう」と思い続けてきことがある。それが社会では当たり前なのかと。お年寄りに接する機会が多い現場の皆さんに、自分の接し方は本当にこれでいいのかどうかについて一考いただくために、県が定める「老人月間」最終日のきょう、コラムで取り上げることにした。

 9月29日午前のこと。つまり、「ずっと以前から思い続けてきた」ことに、昨日あらためて遭遇した出来事である。秋田市に本店を置く銀行の東台支店(大館市)。猫の額ほどのスペースのATMで、記帳しようと立ち寄った。入り口のドアを開けてすぐの位地から、右手に待合室が見える。ふっと視線を投じると、小柄な老婦人が1人、申込書などに記載する筆記台に面して立っていた。

 記帳の最中、一瞬耳を疑った。「おガネ、出すんだがぁ?」。女子行員の鋭角的な声。明らかに老婦人に対して発した問いと判断できたが、老婦人は誰に対する言なのか判らなかったらしく、いかにも場慣れしたような齢40前後とおぼしき体格のいい女子行員はつかつかと寄っていき、同じ問いを繰り返した。「おガネ、出すんだがぁ?」。とても小さな声で老婦人は何かを返したようだが、聞き取れなかった。ただ、女子行員の尋ね方にむっとした表情を浮かべたのは、確認できた。

 皆さんは、この光景にどう思われるだろうか。「なんだっていうの? 当たり前の光景じゃん」と言うだろうか。言及したいのは、お年寄りに対する接し方である。例えば、この女子行員は出金を目的に来たと思える客の誰に対しても「おガネ、出すんだがぁ?」=お金を出すのか?=と、いかにも自分の家族や友人に対するタメ口で接するだろうか。あり得まい。「ご出金ですか?」などと問うのではないか。

 その時の老婦人に対する接し方を指摘されれば、自分に落ち度があるとは思わず、当の女子行員は恐らくこう釈明するだろう。「親近感や親しみを込めて接したのです」と。だが、明らかに口調から伝わる響きは親近感などとはほど遠く、むしろ「めんどくさい、ばばあだな。何を、どうしたいんだ」ぐらいにしか伝わってこなかった。だからこそ、老婦人も不快な表情を浮かべたと容易に推察できる。つまり、来客に対する接し方とはあまりにかけ離れているのである。秋田県民は、この言葉を実際に声に出してみると、どのような響きになるか、より理解できるのではないか。

 そこには、少なくとも2点の問題が介在する。第1点は、この女子行員自体の問題。ATMの前にコラムの筆者がいることに背中越しの同行員は気づかなかったらしく、ほかに客はいないと考えて老婦人に失礼な物言いをした、と考えられる。つまり、複数の客がいれば丁寧な言い回しをしていたであろう"小ずるさ"。到底そうは見えなかったが、よしんば老婦人が顔見知りの人物だとしても、接客の場、つまりプロとしての応対が求められる場で「おガネ、出すんだがぁ?」などという問いかけはあるまい。

  第2点。もしこの行員が日常的に高齢者にこうした言い方をしているとすれば、それを見て見ぬふりをして何一つを注意を与えてこなかった上司、先輩にも大きな落ち度がある。指導、管理の不行き届き。もし、それがこの銀行の全店的なことだとしたら、接客教育の面で基本的に欠落している部分があると言わざるを得ない。 

 この銀行に限ったことではなく、「親しみを込めて」などと称して行政、医療、福祉、小売業、サービス業の現場など、社会の実に多くの場で老人に対する非礼なものの言い方がまかり通っている。大館市立総合病院で実際に遭遇した出来事を例に挙げてみたい。救急搬送された90間近い老人。時の経過とともに具合がよくなってきた彼は、腕に挿された点滴の針をしきりに外したがっている。

 身動きするうちに、テープで固定していた針が抜けた。「爺さん、動げばだめだ、ほれ、針抜げだ」=爺さん、動いちゃだめだ、ほら、針が抜けてしまった=」と、ベッドに横たわる老人に走り寄りつつ、手を焼かせるなと言わんばかりの顔でベテランらしき看護士は言った。「もういらねぇ、えサ帰る」=もういらない、家へ帰る=と、老人は憮然と返した。家人とともに、その場に立ち会っていたため今も憶えている光景だ。

 たとえ初対面でも、相手が老人であるがゆえのぞんざいな口調。「婆さん、そごわだれば、だめだ、ひがいるど」=婆さん、そこを渡ればだめだ、轢かれるぞ=と、あるイベント会場近くの道路で県警職員(警察官)が老人に強い口ぶりで注意していた。「お婆さん、そこを渡ってはいけません。轢かれてしまいますよ」という丁寧語ではない。「ばば、そごわだな」=婆(ばばあ)、そこを渡るな=的なぞんざいな言い回しである。

 「高齢者」と呼ばれる世代は戦中、戦後の最も厳しい時代を生き抜き、日本の繁栄を根底から支えてきた。「年寄り」「みすぼらしい」などのイメージや見た目だけで、粗末な応対をされていいはずはない。むしろ、高齢者にこそ尊敬の念とともに、丁寧に接するべきではなかろうか。「親しみを込めてのタメ口」などと言ってはばからぬ人たちも、対するお年寄りたちが本当にそれを快く受け入れているのか、胸に手をあてて考えてみる必要があるのではないか。