デスクの独り言

第94回・2010年7月19日

愛される警察官 

 時代の流れか、かつて県警の警察官はもっと人間味にあふれていたように思える。記者との酒席では、たびたびジョークが飛び交っていた。警視正という超エリートでありながら、ある警察署長が飛ばしたジョークは今でも鮮明に憶えている。秋田市に自宅からクルマで1時間半ほどの官舎に独り住まい。地元記者クラブと署員らが草野球の交流試合で汗を流した後の懇親会でのことだった。「きょうは久しぶりに、カミさんが来てるんだよ。ケツを貸さなくちゃならないから、これでドロンするよ」と言って、忍者が姿をくらます"あの"ポーズをとった。事件解決と住民の安全のために日々采配をふるう敏腕署長の一見下品とも思えるジョークに、署員、記者の面々が大笑いしたのは言うまでもない。今から20年近くも前の"古き良き時代"の警察官の飾らぬ姿だった。

 時は流れ、10日前のこと。近くの交番に勤務しているという若い巡査が、唐突に訪ねてきた。あいさつのできぬ青年。それが第一印象。全身から緊張感のようなものが漂い、腰の拳銃までもが緊張している。これでは市民も身構えてしまう。なかなか用件を口にしないため、「何か?」とややいらついて問うと、彼はようやく切り出した。

 当新聞社は、新聞事業の側面で流通事業を展開し、それに関連して代表者名で免許や登録証を取得している。その中の一つが県公安委員会が発行した免許。8年も前に取得した免許について、今ごろなぜわざわざ出向いてきたのか、彼は何も説明しようとしない。代わりに、眼鏡だけがぎらつく無表情な面相から発した一言は、かつての警察官のイメージとはほど遠い不快極まりない言葉だった。

 「本当に商売をやっているのか? なら、中に上がらせろ」という趣旨。自己紹介もなく、いつ、どこから赴任してきた青年なのかまったく分からない。新聞社の存在すら知らないらしい。一応「ですます」調ながら、有無をいわせぬぴりぴりとした緊張感を総身からにじみ出し、さながら"ガサ入れ"をせんとする刑事然とした態度。「何かの容疑なら、令状を取って出直して来い!」と一喝したい衝動が駆られたが、「事業は10年になりますよ」と受け流した。

 続いて発した彼の言葉。内容は侮辱以外の何ものでもない。「怪しい物(商品)は扱っていないでしょうね」。我慢にもほどがあろうというものだが、さらに「帳簿を見せろ」「あんたの家族構成を言え」という趣旨の質問の連続に、よくもそんなに耐えられるというぐらい堪えた。人間誰しも、腰に拳銃をぶらさげた相手には、畏まらざるを得ない。まして、警察官には逮捕権という決定的な「権力」が与えられている。なお悪いことに、眼前の青年警官はかつてジョークを飛ばしあえた時代の警察官とは、明らかに"種族"が違う。ジョークが入り込める隙間など、微塵も感じさせない。彼と対面した約30分の間に思ったのは、「早くこの場から立ち去ってくれ」ということ以外、何もなかった。

 警察官試験はかなりの高倍率で、容易には合格できぬ狭き門だ。この青年も難関をくぐり抜けて合格したのだから、高い学力を持っているのだろう。しかし、どう接したら市民に愛されるか、ということをまったく理解していない。同じ質問を、たどたどしく複数回する。だからムダに時間は流れ、こちらの苛立ちも増幅する。

 この青年警官の常識の欠落は、それだけではなかった。本来、正面入り口前に自転車をとめるべきところを、無断で立ち入れば不法侵入にあたる場所に平気でとめている。訪問者は皆、「ここにクルマをとめていいですね」と断るのに、「俺は警官だ。どこにとめようが俺の勝手だ」と言わんばかりの様子。帰る段になっても、なかなかその敷地から離れず、じっと建物周辺を見回している。事件が転がっていないかと気負いつつ、物色でもしているのか。たとえ警察官であれ、捜査時以外はどこにでも足を踏み入れていいはずはない。それが許されるとすれば、一家団欒の居間にもずかずか上がり込める理屈になる。

 立ち去って1時間ほどして、青年警官が電話をかけてきた。うんざりしたが、一応、例の免許の件について大館署生活安全課から確認したことを伝えたいらしい。そもそもこの免許について知識として十分咀嚼せずに訪問しているものだから、こちらが質問をしても返答に窮していた。だから、生活安全課にいちいち確認しなくてはならない事態が生ずる。

 電話の最中、確認のため、彼は2度ばかり受話器の向こうから延々待たせた。社会人なら「お待たせをして申し訳ありません」といった言葉を口にするものだが、ましたても「俺は警官だ。文句があるか」と言わんばかりに、詫びの言葉一つない。人との接し方も知らない、こうした警察官で溢れたら、将来、日本の警察はどうなるのだろうと不安に駆られてしまう。

 「市民の安全を守る警察官」「市民に愛される警察官」は本来、最も望ましい警察官の姿であることは言うまでもない。つまり、一般市民が「この人だったら安心だ」と心底思える警察官だ。かつて、県警にはそうした警察官が数多くいたように思える。腹を割って語りあえる警察官。それこそが、市民に安心感を与える警察官。市民を息苦しくさせる緊張感を総身から醸し出し、その姿を目にしただけで「何事だろう」と不安な思いに駆り立てる警察官は、そもそも警察官たるべき資質を備えていない。「接し方講習」のようなものを受講しても、容易に身につくものではなかろう。

 現代は、警察官が引き起こす事件も少なくない。だからこそ、まずは市民に信頼してもらう。そこが原点と思える。アナログの時代からデジタルの時代へと変遷を遂げ、警察官を目指す若者たちも、少年期にどろんこなって遊んだ時代の人間からパソコン、ケータイ、ゲーム世代に移行し、かつてのような"親しみやすい"警官はこれからさらに少なくなっていくだろう。そうした変化の断片を、あの青年警官から見た気がしたのは、何とも残念でならない。「市民に愛される警察官」とは何か。県警察官1人ひとりに、もう一度考えていただきたい。