デスクの独り言

第93回・2010年7月10日

紙一重の型破り 

 きっちりと型に嵌(は)めたような県民気質。それが"平均的"な秋田県人の気質ではないだろうか。無論、県内、または県出身者の中には型破りな人もいるだろうし、「どでかい人」もいるだろう。だが、多くは冒頭の表現が似合うように思える。

 ある県民から受けた一本の電話。受話器の向こうから伝わる声質は、ご多分に洩れず真面目一辺倒で枠に納まる印象を与えた。だが、発した言葉には異様な響きがあった。「秋田市のアトリオンで個展をやります。コラムで取り上げてもらえないでしょうか」。興味を誘うのはその先。生の枝豆を一つだけショーケースに入れて展示するという。

 そこに何の意味があるのだろうか、と咄嗟に思った。枝豆はみずから製作したアートではなく、ごくありふれた"ビールのお供(とも)"。世間一般の視野から一歩も出なければ、「何で、そんな馬鹿馬鹿しいことをするの? 誰が見に来るというの?」となる。だが、このような"個展"を開いた人は、少なくとも県人の中にいただろうか。意味を見い出せるか否かは別として、奇抜だ。そして、何とかと紙一重の型破りでもある。

 潟上市在住の会社員、伊藤誠吾さん(32)。2001年、ニューヨークに渡った。物見胡散ではなく、3年半、演劇を学んだ。20代前半の単身渡米は、血気盛んな年代とはいえ勇気が要ったはずで、並みの青年にはなかなかできることではない。世界の中心、人種の坩堝(るつぼ)たるニューヨークで学んだこと、得たものは多かったろうし、さまざまなカルチャーショックもあったに違いない。

 そこで得た"何か"が、今回の実験的個展の原動力になっているのは言うまでもない。個展名は「AVANT GARDE 2010」。AVANT GARDE=アバンギャルド=は、日本でも比較的使われる単語で「前衛的な」などの意味だ。

 美術館などで芸術作品を鑑賞する際、思いのままに感想を述べあうニューヨークと、重い空気の中で半ば無言で鑑賞する日本とではまったく異なり、伊藤さんはそこに違和感を覚えたという。ならば、彼が試みようとしている「生の枝豆」の個展に対し、県民は関心を示すだろうか。これをニューヨーク、東京、そして秋田で開いたら、それぞれの反応はどうだろうか。

 最も関心や反応が薄いであろう秋田で、あえて開こうとする一見無謀とも思える試みが面白い。多数の鑑賞客が訪れようが、ほとんど訪れまいが、重要なのはそこから彼が何を掬(すく)い取り、どう昇華させていくかだ。彼自身が何かを得られれば、「自分がなすべき、先にあるもの」が薄ぼんやりとでも見えてくるはずである。

 「人間はどこまでアホなのか」。今個展につけた副題。風刺と理解できるが、さすがにこの表現は難解だ。どのような意味なのかを伊藤さんに訊ね、彼自身の考えを引き出すことはできるが、鑑賞者がみずから答を導かなくてはならないことのように思える。ケースに入った生の枝豆をアートとして見ようと試みる人間が「アホ」なのか、芸術作品を神々しいものでもあるかのごとく鑑賞する人々が「アホ」なのか。あるいは、みずからこのような個展を開く伊藤さん自身を「アホ」と称してのことなのか。人類、みな「アホ」なのか。何ともアバンギャルドだ。

 個展はあす11日、午前10時から午後6時までアトリオン2階の第1展示室で開かれる。入場は無料。折りしも、あすは第22回参議院議員選挙の投票日。秋田市民、または近隣の住民で、伊藤さんの個展に興味のある人は、投票に出かけがてら同展示室に足を踏み入れてみたら、投票所とまったく異質な空間が新鮮に思えるかも知れない。いずれ大館市でも開くとのことなので、注目したい。