デスクの独り言

第91回・2010年4月7日

恐ろしい魔物 

 立て続け、という印象を拭い切れない。冤罪(えんざい)事件。栃木県足利市で平成2年に起きた「足利事件」で、3月26日に無罪を言い渡された菅家利和さん(63)については、多くの国民の知るところだ。さらに、冤罪の可能性がある新たな事件が「唐突に」という形容がふさわしいほど、いきなり浮上してきた。昭和36年に三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。地区公民館でぶどう酒を飲み、女性5人が死亡、12人が中毒症状に見舞われた凄惨な事件である。

 殺人罪に問われ、死刑が確定した奥西勝元被告は、事件発生当時30代の若さだった。現在は84歳。いつ死刑に処されるのか、と怯えながら、気が遠くなるほど長い歳月「投獄」されたことになる。他人の苦しみは、その人間の立場になってみないとなかなか実感が湧かないものだが、「もし何もしていない自分がそのような立場に置かれたらどうだろう」と、多くの国民が自己投影できるほど冤罪は恐ろしいものではなかろうか。

 再審無罪が確定する以前から、菅家さんが言い続けた言葉がある。「毎日毎日、何時間も何時間も取り調べで『お前がやったんだろう』と責め立てられた。そのうち、(生きることも)どうでもよくなり、私がやりましたと言った」。いわゆる「虚偽の自白」とされるその部分は、当然のことながら最後まで問題になった。当時取り調べにあたった捜査員は「状況証拠とDNA鑑定からして、犯人はこの者以外にはあり得ない」と決めつけていただろうし、「私がやりました」と自暴自棄で菅家さんが"自白"したことで、「やっと落ちた」と肩の荷を降ろしたであろうことは容易に推察できる。

 1つの冤罪が確定して間もなく、別の新たな事件が浮上してくると、警察は一度犯人と断定した人間を何が何でも犯人と決めつけるのではないか、と思いたくもなってくる。また、冤罪を晴らすこともできぬまま、獄中で非業の死を遂げた人も少なからずいるのでは、とも。奥西元被告を応援する意思を示した菅家さんが放った、「無期懲役でもつらかったのに、死刑はもっとつらかったはずだ。私なら耐えられなかった」との言葉は重い。

 確かに、DNA鑑定を含む科学的捜査の精度は、現在と当時とでは雲泥の差がある。それはやむを得ないにしても、当時の取り調べは完全に「拷問」だった戦時中の憲兵ほどではなかったにしろ、今とは比較にならぬほど厳しいものだったろう。被疑者の中には「もう、どうでもいい」と人生を投げ出す人もいたばずだ。その点では、菅家さんも奥西元被告も共通している、と解釈できる。

 ただ、実際には何もしておらず、真犯人が今でものうのうとどこかで生きている、または罪を問われることもなく生涯を閉じたとしたら、代わりに罪を償わされる者はたまったものではない。「(警察、検察、裁判官を)絶対に許さない」と言い続けた菅家さんは、無罪確定を受け、裁判官の謝罪に心を開いた。ある意味、彼らを"許した"菅家さんは、優しい方なのだと思える。

 取り調べの人間、裁く人間がたとえ地べたに額をこすりつけて菅家さんに謝罪したところで、かけがえのない18年は取り戻せるはずもなく、「謝罪」以外誰一人責任を取ることはできない。これを国はどう考え、これから先、どう責任を取るつもりなのか。本来、社会で働いて得たであろう給与に相当する分を支払えばそれでいいと考えているのだろうか。国は何で償えばいいのか。金銭しかないと仮定したとして、1人の人間の人生を破壊したのだから、何億円差し出しても足りないほどだ。

 「名張毒ぶどう酒事件」については再審が決定したのではなく、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻す決定を下したにとどまっている。それさえ、奥西元被告が無罪を訴え続けてきた末に、最高裁がようやく重い腰を上げたにすぎず、かつ再審決定ではなく再審判断差し戻し決定という消極的な姿勢だ。今の時点で、冤罪かどうかは本人以外誰にも判らないにしろ、可能性はかなり高いといえる。であるなら、まどろっこしいことなどせず、再審に向けて早急に動き出すべきだ。当面死刑は執行されないものの、80半ばの高齢からして奥西元被告に残された時間は少ない。

 冤罪が生まれるには、状況証拠や完璧ではない科学的捜査の結果をもとに、捜査員らが「こいつが犯人だ」と、半ば決めつけて取り調べに臨む旧態依然とした警察気質にそもそもの問題がある。それを少しでも正すために、あらゆる取り調べについて録画、録音をして残すべきではないか。そして、法廷だけではなく被疑者やその家族などの求めに応じて公開すべきだ。それによって、取り調べはいくばくかでも公正さが保たれ、取り調べをする立場の者もこれまでとは異なる意識で被疑者に接するのではないか。

 18年11月18日付の当コラム「母に残した言葉」でも取り上げたが、大館高校の元非常勤技師、畠山博被告が絡んだ幼児殺害事件も、状況証拠に加えて自白が一定しないことで「有罪」とされた。が、共犯で服役中の女の自白が有罪を決定づけた感があり、冤罪の可能性は皆無とはいえない。冤罪は殺人事件に限ったことではなく、痴漢のでっちあげなど、誰であってもあらぬ疑いをかけられる危険性がある。そうした意味では、冤罪は決して他人事ではなく、いつ背後から忍び寄るか分からぬ「恐ろしい魔物」ではないだろうか。