デスクの独り言

第89回・2009年2月10日

小さな親切 

 最近、小さな親切を眼にしたので、紹介してみたい。齢80ほどと思えるお年寄り(女性)が、大館市内の内科医院の窓口で初診の受け付けを済ませ、待合室の長椅子にやや疲れた様子で腰かけた。古い医院だけに、10人も入れば狭く感ずるほどこじんまりとした待合室。インフルエンザの流行期とあって、7、8人の患者の半数は一様に顔の半分が隠れるほど大きなマスクをしている。

 5分ほどして看護師が、待合室の扉を開けてお年寄りのもとに歩み寄ってきた。たまたま隣りに坐っていたため、2人のやり取りは手に取るように理解できた。看護師が言うには、服用しているすべてのクスリをあなたは持参しなかったので、このままだと診察ができない。取りに行って、出直して来てください。要約すれば、そうなる。看護師の言い方に温もりらしきものは感じられず、そこにあるのは事務的な響きだけだった。

 おばあさんは、即答しかねた。医院から片道10キロ余の老人福祉施設に入所しており、初めての来院のためか、バスを下りて30分ほど道に迷った末、ようやくたどり着いたのだという。「脚や腰が痛いし……」と、看護師の前で口ごもった。マイカーで容易に行って来れる者ならいざ知らず、何とか医院にたどり着いた老人がもう1度バスに乗り直してクスリを持って戻るのはとんでもなく難儀だ、との思いは、待合室の誰の心にも伝わったのではないか。

 申し訳なさそうなそぶりなど微塵もなく、看護師はたたみかけた。「バスがだめなら、タクシーで取りに行ったらどうですか」。おばあさんは、言を返しあぐねた。考えがまとまったら教えてほしい、と言い残して看護師が診察室に引き返すのと入れ替わるように、1人の老婦人が待合室に入ってきた。受け付けを済ませ、老婦人はおばあさんを目にとめるやおもむろに歩み寄り、そばに坐り、「いやあ、久しぶりだごど。元気そうだなぁ」とあいさつを支度した。旧知の仲らしい。

 「元気そうに見えるって、みんな言うけど、どごもかしこも、めためただぁ」と、おばあさんは返した。看護師の申し出に対する鬱憤があったのだろう。老婦人に看護師とのやり取りの一端を話し、「タクシーで行けって言われても、片道1,500円はかかる」と、おばあさんは本音を洩らした。看護師の話を付け足すと、おばあさんは調剤薬局を含めて方々からクスリを購入しており、それを1個、1個、医院が電話を入れて確認する作業はできないのだという。ある意味それは当然で、医院にその義務もなかろう。

 再び看護師が現れると、おばあさんは「きょうはもう来れない。あす、また出直すス」と、考えた末の結論を口にした。「そう」と、看護師は無表情に受け入れ、再びそそくさと去っていった。看護師がいなくなるのを待ってでもいたかのように、話の輪が3人、4人と広がった。2人のやり取りに耳を傾け、おばあさんを気の毒に思ったのであろう。迷いに迷ってようやく医院にたどり着いたおばあさんは、帰りはどこからバスに乗ればいいのか、分からないという。あの停留所ではないか、いや違う、大町まで歩かないといけない、などと声が上がり、おばあさんはさらに疲労困憊したようだった。

 先ほど来からおばあさんの隣りに坐っていた30代後半とおぼしき女性が「私が送っていきましょう。どこまで行くのですか?」と、唐突に助け舟を出した。顔が隠れるほど大きなマスクをした女性に、おばあさんは「見ず知らずの人に、そんなことしてもらうわけにはいがねっス」と遠慮した。帰るのも大変なんだから、お言葉に甘えたらどうか、と老婦人が合いの手を出し、「少しお礼を差し上げればいい」とおばあさんに耳打ちするように言った。それが聞こえたのだろう。女性は「お礼をいただくぐらいなら、タクシーに乗るのと変わりはありません。そんな気遣いはいりませんから、私のクルマに乗ってください」と返した。送って行っても、自分の待ち時間より早く戻って来れるだろうから、と。

 そして女性は「帰るのではなく、クスリを取ってきてはいかがですか。待ってますから」と提案した。しかし、入所施設での昼食時間は厳格らしく、すでに戻ってくる余裕はないという。時計の針は、午前11時をまわっていた。ひとしきり済まなそうにして、おばあさんは結局、女性の親切に甘える決心をした。2人が去った後、待合室には「大館にも、ああいう優しい人がいるんだなあ」との会話が飛び交った。

 他人が困っている時、見て見ぬふり、知らぬふりをすることは誰にでもできる。見ず知らずの人なら、なおさらだろうし、それが世間というものであろう。小さなことなのかも知れないが、このような親切を簡単にできてしまう人は、きわめて少ないのではないか。

 看護師には、クスリを取りにクルマで送る義務もないし、1カ所1カ所、薬局に確認の電話を入れる義理もない。だから、おばあさんにも事務的に相対した。そこに否はなかろうが、問題は居合わせた人たちの眼にどう映るかである。誰の心にも寒々とした印象を与えたのに、疑いの余地はない。

 そもそも「これだと診察できない。クスリを取りに行かせろ」と指示したのは院長だろうし、看護師は院長に"憎まれ役"を担わされたにすぎない、とも考えられる。だとすれば、院長の姿勢こそ医師としての、心のありようが問われる。何ひとつ診察できぬはずはなく、問診、触診などをした上で、「次回はクスリを持ってきてください」と伝えるのはたやすいはずだ。医者でないあなたに何が分かる、と切り返されてしまえばそれまでだが。

 行動に出た女性は、風邪かインフルエンザで体調が悪いにもかかわらず、看護師とのやり取りを見るに見かね、眼前のおばあさんに何かしてあげたいと思い立ったと推察できる。小さな親切は、人の心を温かくする。医院の姿勢と正反対に、ささやかながらほっとする"1コマ"に出会えた気分だった。