デスクの独り言

第75回・2006年10月24日

人類の危険な道

 北朝鮮が地下核実験を強行した日のコラムで、「制裁の仕方を一歩間違うと、北朝鮮はますます意固地になり、何をするか分からないという恐ろしさはつきまとう」と記したが、国連制裁決議に対してはまさに「一歩間違うどころか国際社会は今、大変なことをしでかしている」と思えてならない。

 国連制裁決議の最も大きな柱は船舶検査で、ほかは北朝鮮との輸出入や外交の停止などがあるが、どれも北朝鮮にとっては「宣戦布告」だ。とりわけ、北朝鮮への物資流入を完全に絶って孤島状態にする経済制裁は、北朝鮮政府を制裁するというより、これから厳しい冬を迎えるにあたって物資が入らず援助もない北朝鮮の国民、つまり弱者のみを苦しめるやり方と談じざるを得ない。また、船舶検査は戦争勃発の危険性を常にはらんでいる。

 そうしたことから考えるに、今回の国連制裁決議は国際社会が北朝鮮に灸を据えるどころか、北朝鮮の国民を「蛇の生殺し」状態へと追い込むにすぎず、これが長期間続けば北朝鮮はいずれ「窮そ猫を噛む」に打って出る危険性すらある。

 国連決議はいわば、力に対して力でねじ伏せる、つまり軍事でねじ伏せるわけにはいかないため、経済などで打撃を与える方法を取らざるを得なかっただけで、じりじりと痛めつけていくその手法自体、国際社会がとんでもない爆弾を抱え込んでしまったことを意味するのではないか。

 では、ほかにどんな方法があるのか、と言われると、腹を割って話せる相手ではないだけにむずかしいのだが、いずれにせよ国連制裁決議は危険極まりない内容だ。

 特に気になるのは、同決議内容に慎重な考えを示していた中国の出方。北朝鮮との話し合いをある程度重視する一方で、物資を停止し、海岸付近で緊急に軍事演習まで展開した。国境付近での軍事演習は「そっちがやる気なら、徹底的にやるぞ」と半ば挑発しているようなもので、一触即発の火種になりかねない。中国はなぜそのようなことをするのか。少なくとも中国は、韓国と同様、国際社会と北朝鮮との間で最も重要な調停役を果たさなくてはならない中にあって、物資を止めたり軍事演習をするなどというのは、まさに愚の骨頂だ。

 国連制裁決議直後の今はまだ小康状態を保っているが、この制裁によって月日を重ねるにつれて北朝鮮国内は、想像を絶する苦しみに苛まれることになろう。しかし、これまでの例からして「私たちが悪うございました。国際社会に順応しますから、堪忍してください」などと、北朝鮮が世界に陳謝するとは思えない。国連制裁、そして各国独自の制裁によって極限まで追い詰められた国に残された道は一つ。「窮そ猫を噛む」である。北朝鮮が「宣戦布告」と受け止めている以上、局地戦を含めて何が起こるか誰にも予測のつかぬ状態に、北朝鮮自身が追い込まれていくと想像するのはたやすい。

 そうならないためにも、国連制裁決議の内容が真に国際社会にとって最良なのか、また北朝鮮を反省させる、考えを改めさせる上で誤っていないのか、各国は額を突きあわせて再度議論すべきだ。

 ところで、以前から腑に落ちないと感じていたのがNPT、核不拡散条約である。昭和43年に56カ国が署名し、日本が署名した2年後の同45年に発効した多国間条約。米国、英国、中国、フランス、ロシアの計5カ国以外の国が核兵器開発、保有するのを禁止するというものだが、そんな馬鹿な条約が存在すること自体、人類の愚かさを反映している。公式の核保有国とされるこの5カ国が兵器としての核を「俺たちだけの物」とばかりに保有しているから、北朝鮮やイランなどを含めて「我も我も」の機運が高まってくるのである。同5カ国が保有している核弾頭は約2万発。これこそが諸悪の根源だ。

 これら国連安保理の常任理事国である5カ国が世界に模範を示して核兵器をすべて破棄し、すでに核保有国となったインドやパキスタン、そのほかの開発が疑われる国々に「私たちは、地球平和のために核兵器を捨てます。ともにそうしましょう」と働きかければ、世界の核廃絶は実現できる。

 無論、2度も日本に地獄を見せた米国などは「そんな馬鹿なこと、できるか! 核の傘で日本を護ってやっているのは、誰だと思っているんだ!」と、取り合うはずもないのは分かりきっているが、核保有大国が共同で模範を示さないと今回の北朝鮮を契機に核拡散はますます助長されかねない。核拡散の危険性が増したという意味でも、今回の核実験問題は人類滅亡への導火線になり得る。人類はこれから、とてつもなく危険な道を歩むのではないか。