デスクの独り言

第69回・2005年12月26日

日本語の行方

 言語について、以前から気になっていたのだが、最近ますます「なぜ、そうなのだろう」と思うことがある。日本人と外国人の子どもの違い。レポーターやアナウンサーなどが、子どもにマイクを向けてコメントや意見、感想を求める光景がたびたびテレビ画面に映し出される。アジアはもとより海外のほぼすべての子どもが、流暢に、そして明確に自分の意見を口にする。

 しかし、日本人の子どもの大半、いや、ほとんどといってよかろう。彼らがマイクに向かって返す言葉は実にたどたどしく、到底会話とはいえない短さの単語を二つ、三つ並べた程度である。海外の子は滑らかに、比較的長々と話す光景をよく目にするのに対し、日本人の子が訊かれたことに対する答は、場合によっては単語一つ、ものの1秒で終わってしまうことすらある。

 そこからは、海外の子はきちんと自分の考えを持っていて、いつでも言語として表現する能力に長け、逆に日本人の子はまったく考えなどなく、だからこそ意見や感想も巧みな言語として口からこぼれ出てこない、という印象を強く受けてしまう。海外と日本の言語文化や思考の違いも多少はあろうが、日本の場合、話し方の訓練を積ませていないのが最も大きな原因ではないだろうか。

 確かに、教育現場によっては学校裁量の時間などを活用して話し方教育に力を入れ、努めてみんなの前で意見を言うよう訓練を積ませているケースもあろう。だが、ほとんどの学校はそうではないように思える。クラスの中で、全校児童、生徒の前で意見や主張を述べるのは、慣れていなければ大変苦痛なものである。だが、日常の教育カリキュラムに組み込んで訓練させれば、日本の子どもたちも海外の子どもたちに劣らず、物怖じせずに流暢に自分の意見、感想を述べられるようになると思うのである。

 その訓練を積んでいないまま多くの日本人はおとなになっている。海外のおとなはどの国であれ、突然の街頭インタビューなどでも流暢に自分の意見を述べるのに対し、日本人のおとなは子どもと同レベルのコメントしか返せない。ほんの片言の意見しか述べられないのである。

 なら、外国人はその訓練を積んでいてあれほど流暢なのかと言われれば、そうとも言えまい。イラクの瓦礫の山やアフリカの奥地でも、マイクを向けられれば現地の大人も子どもも明確に自分の考えを述べる。訓練を積んでいなくても、である。イラクなどのように、極限の状況下に置かれていれば、鬱積した不満がいくらでも口から出るであろう。

 日本人の場合、そうした状況下に置かれていないから明確に意見を述べられないのではなく、国民性としての話べたから来るものなのかも知れない。であればなおさら、教育の場で訓練を積ませ、自分の意見を明確かつ流暢に話せるよう国レベルで底上げする必要がある。政治家のごとく弁舌巧みになれ、といっているのではない。気後れせずに堂々と自分の意見を、いかなる場でも述べられるよう子どもたちに訓練を積ませるべき、と提言したい。

 日本の言語で、あと一つ気になることがある。話し方の幼児化。「日本語の最大の破壊者は女子高生だ」と、テレビ画面の中で、ある識者が言っていた。あるいはそうかも知れないが、女子高生だけを"悪者"扱いするのは、いかがなものか。日本語を破壊しているのは、女子高生という狭い年代ではなく、もっと広い年齢層で、それが高齢層を除く全体を取り込んでしまっている。つまり、10代後半だけではなく、20代も30代も日本語の破壊者になっているということだ。

 話し方の幼児化を印象づけるものの一つに、語尾の間延びがある。例えば、以前なら「だから」と表現していたものが今は「だからぁぁ」、「そして」は「そしてぇぇ」、「それと」は「それとぉぉ」といった具合に。語尾が以前ならぴしりと鋭角的だったものが、今ではまったりとした感じで間延びしている。その言い回しはある種、幼児の甘え口調なのだが、その表現を「トレンド」と思い込んでいる者などは世代にかかわらず好んで使っており、とても頭が悪そうな印象を受けてしまう。

 また、青年層を中心とする日本人男性がよく使う言葉に「うめえ」と「やべえ」がある。日本語としては汚い表現なのだが、今では「トレンド」といっていいほど好まれる言い回しだ。「うまい」とはいわず、「うめえ」という。その言葉は、躾のなっていない粗雑な若者、という印象を与えるのだが、流行なのだから仕方がない。

 また、「やべえ」もある種、"チンピラ言葉"としか取れないが、特に若者の多くは好んでこれを"乱発"する。あえて自分を粗野な人間に見せたいわけではない。「トレンド」と思い込んで使っているにすぎない。これらの言葉は無論、昔から使われていたのだが、一気に火をつけたのはある5人組に代表されるスーパーアイドルたちであろう。彼らはよく、「やっべぇー」「うめえぇ」を口にする。それがマスメディアに乗って、若者たちを中心に流行ならしめた原因の一つなのではないか。

 いつの世も言語は、破壊を繰り返して新たなものが生み出されて定着していく。マスメディアが発達した現代では、その速度たるや昔の比ではなく、それゆえに単なる流行り言葉として瞬く間に忘れ去られるケースの方が圧倒的に多い。今年大流行りした言葉でも、来年にはもう「まだ使ってるの? ダサ!(ださい)」と、馬鹿にされかねぬ時代だ。

 そうした中で痛感するのは、日本語が根底から壊れてきているということ。日本語というものを教育現場だけではなく、家庭においてもきちんと見直しながら子どもを躾ていかないと、これから大変なことになる。このままだと、いずれ「日本語」は「日本語」たり得なくなる。