デスクの独り言

第68回・2005年9月27日

秋田犬発祥地の憂い

 忠犬ハチ公の名を知らぬ日本人はいない、と思えるほど彼の名は全国に知られている。しかし、ハチ公の生まれ故郷が秋田県大館市で、秋田犬の発祥地も同市であることを知る人は、全国にどれだけいるだろうか。いや、秋田県民ですら、どれだけの人がそれを知っているのだろう。さらに突き詰めていうと、どれだけの大館市民がそれを知っているだろうか、という疑問に突き当たる。

 本場の秋田犬に会いたい、との思いで本県を訪れる観光客にとっては、いささかショックなことだが、県内で秋田犬を見るのはよほど運がよくなければむずかしい。それは、発祥地の大館市でも例外ではない。ならば秋田犬の本場とは呼べないでしょう、ということで市役所付近に位置する秋田犬会館に"観光犬舎"ができたのは10年近く前のことだ。それも、冬期間はお目にかかれないし、天候の悪い日も2頭ばかりいる彼らはオーナー犬舎から"出勤"して来ない。

 なぜ発祥地の同市内ですら、秋田犬を見ることができないのか。第一の理由は、新たに秋田犬を飼育する市民がほとんど皆無なため、である。右を見ても左を見ても、レトリバーやミニチュアダックスフント、チワワといった洋犬のほか、雑種、時には柴犬、ぐらいが飼育の範疇だ。これは、県内のほぼ全域的な傾向といえよう。秋田犬が嫌いなのではない。はやりの半纏(はんてん)で、大方の犬ファンが洋犬ブームに乗っかってしまっているのである。

 無論、県知事や大館市長も秋田犬は飼育しておらず、知事などは某国の大使館関係者に「あなたにはどんな秋田がいますか」と訊かれ、「はぁ?」と返答に窮したことがある。海外で「Akita」といえば、「Akita Prefecture(秋田県)」ではなく「Akitainu(秋田犬)」をさしていることすら、県民の代表である知事は知らずにいた。

 大館市内には、忠犬ハチ公のイメージ絵を記した観光看板が随所にあるし、ハチ公の名をつけた菓子類も少なくない。しかし、みずから飼育していないがゆえに、市長も秋田犬に対して理解があるようには見えないし、秋田犬飼育促進に向けた予算を、市が計上するはずもない。

 大館での秋田犬飼育促進について1年前、秋田犬の飼育者でもある市議会議員と少し論じた。「秋田犬を飼育している大館市民は、本当に少ないね。これじゃあ、いずれ大館からいなくなってしまうよ」と議員。新たに飼育したい市民に月数千円の餌代を行政が補助する"案"が話の最中に浮かんだが、結局、「それでも無理だね。いくら餌代を補助されても、洋犬を買いたい人に秋田犬を飼育して、と望んだところで無理な話だ」となった。

 このように、発祥地の大館市では新たに秋田犬を飼育する市民は皆無に等しい現状だが、これに加えて頭の痛い問題がある。地元の飼育者たちの高齢化だ。大館に新たな飼育者が出てこないのと同様、優れた秋田犬を未来に受け継ごうという後継者が当地ではまったく育っていない。半ば職人気質のベテラン飼育者たちは、いずれも秋田犬とともに半生を歩んできた人たちだが、若い年齢層で50代、平均でも60代半ばぐらいになるのではないか。

 これに加えて憂慮すべきは、日本の秋田犬界をリードしてきた地元の"長老"が70代後半に入り、「いくら長くても、秋田犬人生はあと5年」と話している点。この人の引退とともに、「秋田県の秋田犬」「大館の秋田犬」は一気に衰退していくのは目に見えている。秋田犬に対する愛情の深さは無論のこと、この人の秋田犬に関する知識、技術に勝る人は日本のどこにもおらず、この人を超えられる秋田犬審査員も存在しない。この人が引退すれば、張りをなくしたように当地のベテランたちも次々と引退し、今ですら秋田犬に滅多にお目にかかれないのに、すっかり姿を消してしまうだろう。

 その時になって地元行政がテコ入れしようとしても、時すでに遅しである。そうした意味では、今のうちに行政の立場で大館市、場合によっては秋田県が率先して、秋田犬を飼育することのすばらしさ、伝承することの意義を市民、県民に真摯な姿勢で伝え、1人でも多く「秋田犬を飼育してみたい」という人を増やすべきなのである。洋犬や雑種の飼育を否定しているのではない。せめて忠犬ハチ公の古里に暮らす大館市民は、もっと秋田犬のすばらしさに目を向けて然るべき、と強調したい。