第61回・2004年11月11日 スギヒラタケ プライバシーにかかわるため人物特定が可能な描写は極力避けるが、齢70ほどのその婦人は以前から不可解な"行動"を近所の住人に見せていた。最も顕著なのが、乳飲み子よろしく小型犬を背中におぶりながらの散歩。最近になってようやくその奇異な行動は見かけなくなったが、背中に小型犬を背負い込みながら何やら幼児をあやすように話しかける光景は、乳飲み子を亡くして気が触れたかのごとき印象を与えたものだ。 そして、閑静なこの住宅街には野良猫がやたらと多い。聞けば、その婦人が自宅前の空き地に日々餌を置き、野良猫を飼い猫状態にしているとのこと。付近の住民は「困ったものだ」と口々に言いあいながらも、本人には面と向かって抗議できずにる。当家の離れ2階にも数日前、野良猫同士の抗争にでも負けたらしい黒猫が首の周辺にまったく毛のない格好で現れ、身の毛もよだつほどの化け猫姿に腰を抜かしそうになった。離れ1階の物置に野良猫が子を産んだのも、1度や2度ではない。 その婦人が「これ、もらいものだけど、あんまり多くて食べきれないものだから、おすそわけ」といってビニール袋にどっさりスギヒラタケを持ってきたのは、先月上旬のこと。本県や新潟県が主産地で、キシメジ科スギヒラタケ属のこのキノコは、当地でも古くから親しまれてきた食用キノコである。鍋物などにして2日間にわたって家族全員が食べたが、それでも食べきれず、「あとはどうスべぇ」と話しあっていたところ、スギヒラタケの摂食者の中から死亡者が出ている、という全国ニュースが流れた。 その報道に唖然とし、一同真っ青になったわけだが、その後、腎臓を患っている者を中心に発症しているなどの新たな報道がなされた。幸いにして家族の中に腎臓疾患者はいないため、とりあえず「何ともなかろう」と自分たちに言い聞かせたが、それにしてもタイミング悪く持ってきたものだ、と思った。婦人は周辺の2、3軒にも同様に"おすそわけ"をしたらしく、向かい宅も「おいしく食べた」という。 例の婦人は今朝、再び信じがたい"行動"に出た。呼び鈴を押しておもむろに玄関戸を開けた婦人は「おはよう」と家人にあいさつを述べるや、スーパーの白色ビニール袋を眼前に差し出した。「これ、もらいものだけど、よかったら」。そう言って家人に渡すと、「この前のキノコはどうやって食べたの?」と訊いた。捨てたというのもはばかられ、「あまり多いので残りは塩漬けにしている」と、仕方なく家人は応えた。婦人は、先のスギヒラタケの一件に悪びれるふうもなく、「これも塩漬けにしたらいいよ」と言い放つや、そそくさと帰って行った。 居間でビニール袋の中を覗き込むと、何やらキノコらしいものが、重量にして500グラムほど入っている。家族一同、愕然とした。湯通しでもしたらしく、生の状態とは見た目がやや違うものの、明らかにスギヒラタケである。「ど、どういうつもりだ。あいつは愉快犯か。抗議しろ」という者、「すぐに捨ててしまえ」という者、反応はまちまちながら一様に憤慨している。 家人は最初にスギヒラタケを受け取ってから、「あれはスギヒラタケだったではないか」と、その婦人に文句の一つも述べていなかったという。邪推すれば、それに味をしめて再び、シラーっとした顔で再び持ってきたともとれる。しばし家族で話し合った結果、「古くからの近所のよしみもあるし、抗議をすれば角が立つ。捨てたところで本人に知れるわけでもなかろうから、捨ててしまおう」と、"臭いものに蓋"をすることでとりあえず一件落着させた。 それでも疑問は拭い切れない。30年以上の近所づきあいになるその婦人は「これ土産ものだけど、おすそわけ」と言って以前からちょくちょく物を持ってきていた。今回のスギヒラタケに関しては、県内ですでに25人近く原因不明の急性脳症が疑われる患者が出、うち6人が亡くなっている報道を知らぬはずはない。最初は「本人もスギヒラタケの事実発覚前のことで、知らなかったのであろう」と許せたにしろ、涼しい顔でまた「食べて」と近所に携えてくるその精神構造が、不可解かつ不気味だ。 21世紀の現代。古くからの住人も気づかぬうちに凶悪犯罪者がごく身近な場所に潜んでいたり、旧知の間柄だった人物がほんのわずかな"ほつれ"から嫌がらせや犯罪に走ることも不思議ではない時代である。そうした意味では、忍び寄る恐怖と隣り合わせの時代ともいえる。取り立てて恨みを買うこともなく普通に付きあっていてさえ、近所の住人にまったく予想外の行動に出られたりすることすらある。あいさつすらしない近所同士なら、なおさらだ。今回は、今クローズアップされているスギヒラタケに端を発し、人間の病的心理を垣間見たような気がした。 |