デスクの独り言

第53回・2004年2月22日

財政と貿易

 県をはじめ各市町村は、16年度当初予算案を順次公表している。このうち県は国・地方税財政の三位一体改革を背景に地方交付税や国庫支出金の大幅減を強いられ、一般会計当初予算案は3年連続減の7,050億8,700万円にとどまるなど厳しい財政事情だ。穴埋めのために324億円の基金を取り崩す方針だが、このペースでいけば県の基金も3年後には底をつくだろう。県財政ですらそうなのだから、市町村に至っては大半が危機的状況ともいえる。

 そうした中で、市町村合併に活路を見出したい自治体も多いわけだが、当然のことながらこれとて市町村の安泰を約束されるわけではなく、合併後もほとんどの自治体が将来的に財政難を強いられるのは目に見えている。合併そのものが"焼け石に水"とまではいわないまでも、財政難の"救世主"になってくれると安易に考えている首長、議員はいないのではないか。

 そうなると、いかにして自分たちの街(町)や村を生き永らえさせるかが至上命題となる。最も慣用なのは、自治体が収益をあげるための方法論を根本から見直す必要があるのではないか、ということ。自治体が利益を得る媒体は、地方交付税や国庫支出金、県・市町村民税などを別にすれば、ごく限られている。大半は、病院や水道事業などのほか、第3セクターを含む公営事業、施設の利用料といった性格のもの。しかし、いつまでもそのようなスタンスでは県、市町村ともますます財政難に陥っていく。

 そこで自治体に提案したいのは、民間と同様の事業展開をしてみてはどうかということである。その中で、最も至近距離にあるのが貿易ではないか。県や市町村が貿易で利益を上げてはならないという法はどこにもないし、それぞれ条例を制定すれば大手を振って展開できる。県は今、韓国との交流に力を入れており、これに貿易という新たな取り組みを加味すれば、財政建て直しの起爆剤になっていく可能性を多分に秘めている。県内企業の貿易を振興するのと並行し、県や市町村がみずから貿易を展開していくのである。

 とはいえ、貿易は簡単ではない。ある意味では、国内取引より格段にむずかしい。昨年、日本貿易振興機構・秋田貿易情報センター(ジェトロ秋田)が県内の事業所を対象に、貿易推進に向けた研修会を大館市などで開いたが、貿易というのは1度講師の話を聴いただけで取りかかれるほど生易しいものではない。第一にマンパワーの確保。国際ビジネスを展開してつくづく驚かされるのだが、日本を除く世界中のビジネスマンが英語をごく当たり前のようにマスターしている。母国語とする欧米は無論、アフリカ圏、アジア諸国など世界中の企業が英語でやり取りをする。さらに驚かされるのは日本語が堪能なスタッフを配置している海外企業も存在する点だが、さすがにそこまでマンパワーを充実させている企業は大企業を除けばそれほど多くはなく、ほとんどが英語でのやり取りとなる。

 では、県内に目を向けてみよう。ジェトロ秋田に登録されている企業はかなりの数にのぼるのだが、そうした企業でも実際にビジネス英語を使いこなせる社員を配置できているのは皆無に等しいほど少なく、県や市町村なども例外ではない。県、市町村には欧米人を中心とする国際交流員や英語指導助手が配置されているケースも多々あるものの、彼らは任期が決まっているため、専属雇用でもしない限り長期的には使えないし、また、任期を過ぎて日本を離れた後、彼らが所属した自治体の貿易に関する守秘義務を守れるかという点も後々考えなくてはならない。情報を海外でばらまかれたのでは、たまったものではない。いずれにせよ、ある程度英語を使いこなせる人材を確保できない状態では、貿易という無限の可能性を秘めた"商い"そのものを断念しなければならない。

 では、英語をある程度使いこなせるスタッフが企業なり、自治体で確保できたとしよう。それでもまだ条件を満たしてはいない。肝心なのは、そのスタッフが英語を話せるかどうか以上に、海外企業との商談をうまくまとめられるかどうかという点なのである。あらゆるタイプの企業が接触してくるし、こちらからも接触していく。そこには、駆け引きや時によってはハッタリで乗り切らなくてはならない場合もある。これは語学力だけではない、ビジネスマンとしての資質が求められる部分であり、豊かな経験が必要不可欠なのだ。

 また、接触してくる中には企業とは名ばかりで、実は詐欺グループという例も少なくない。英会話ができたぐらいでは、相手が真っ当な企業なのか、あるいは詐欺集団なのかを嗅ぎ分けることはできない。商品を掠め取るのを目的とする詐欺集団は、海外には実に多い。特にナイジェリアを中心とするアフリカ圏と米国は要注意だ。中でも米国は「はめた」「はめられた」が日常的な国で、「アメリカの会社でしたら信用できますので、商品代金は後払いでも結構です」などとしようものなら、会社が倒産するほどの大打撃を受けかねない。ある意味では、ワースト1の国こそ米国、と断言してもいい。

 この2年間で世界各国の企業100社以上と接触し、契約に至った例も複数あるが、貿易を推進する上で最もネックになるのが支払いのタイミングである。こちらとしては、商品に対して全額前金で決済してもらいたいし、こちらの申し出に対して「承知しました。信用してすべて前金でお支払いします」という企業もある。方や、「それはできません。L/Cにしてください」という企業もある。むしろL/C=letter of credit=を望む企業の方が圧倒的に多い。L/Cは信用状を意味し、輸入者の輸入代金の支払いに関して輸入者の取引銀行が保証した書面のこと。これは輸出入者に代わってそれぞれの国の銀行が決済する方法で、一見最も安全そうに見えるが、これとてとんでもない落とし穴がある。欧米の銀行ならある程度信用できるものの、発展途上国の銀行は輸入者と行員が結託して偽のL/Cを発行するケースもあり、実際にこれに関する事件も多発している。「当社はL/Cだから大丈夫ですよ」と言い切る企業ほど危ないことを、貿易を検討している企業などは十分肝に銘じる必要がある。

 ここまで触れると、貿易はとても魅力がありながら、実は難易度の高いビジネスであることを理解してもらえるのではないか。2カ月間にわたって交渉を続け、今月下旬に商談を打ち切った事例を1つ紹介してみよう。これはセネガルの企業との例である。現地の公的団体がエイズ撲滅キャンペーンで使用するため、急いで500万着のTシャツを用立ててほしいという。セネガルの企業は、団体から仕入業務を請け負った代理店だった。先方の仕入希望価格は、1着につき3.5ドルで、総額にして1,750万ドル。1ドル107円で計算したとして日本円での仕入総額は18億7,250万円となる。アジアに置いている当新聞社代理店の縫製会社に「500万着支度できるか」と問い合わせたところ、「最終的にすべて仕上がるまで5カ月かかるが、納期を了承してもらえるなら責任を持って納品する」との返事が代理店(企業)の社長から返ってきた。

 仕入代金をはじめすべてのコストを含めて1着あたり1.75ドルを代理店に支払うことで、セネガルへの商品発送の話が本格化した。その間に、サンプルを代理店からセネガルの企業に送らせ、こちらでは売買契約書案をセネガル側に提示した。こちらの絶対条件は「全額前金」である。普通なら、これだけ巨額の取引なら先方が「前金」を承諾することはあり得ない。前金で全額支払ったのに、オーダーした500万着のTシャツが納期になっても届かない、では大変なことになるからである。

 だが、セネガル側は「全額前金、承知」の返事をよこした。ここで、外国企業との商談経験に乏しい企業なら歓喜するだろう。総額の半分、9億3,600万円余が前金で自社利益になるわけだから。もちろん、こちらとしては素直に喜ぶわけにはいかない。どこかに巧妙な詐欺の手口が隠されていないか。この時点で、警戒を強めなくてはならない。例えば、契約書に対してこちらとあちらに解釈ミスがあれば、「契約不履行」で1度支払われた代金も全額返金しなくてはならないといったリスクも想定しなくてはならない。

 また、代理店も利潤を追求するのが目的である。こちらに内密にセネガル側と直接交渉して、全額自社の収益にすることも可能である。だが、代理店企業の社長は、抜け駆けをするような男ではなかった。それどころか、2日ほど前、「セネガルの会社の社長ですが、彼は信用が置けない。日本企業と交渉すると商談をまとめるのに時間がかかるといって、直接交渉しようと持ちかけてきた。今までそちらを通してすべて話を進めてきたのに、突然出し抜くように直接交渉を望んできたセネガル企業の社長は、正直者ではない。私は、日本企業であるそちらとの長いおつきあいを大切にしたい。今回のプロジェクトについて最終判断をあおぐ」と伝えてきた。

 もしかすれば真っ当な会社かも知れないセネガル企業の申し出を受ければ、あるいは18億7,270万円全額、代理店の口座に振り込まれる可能性は高い。それは代理店にとっても巨額の収益である。しかし、代理店の社長は「正直者ではない」という理由でセネガル企業の社長に嫌悪感を表し、「日本企業とのつながりを大事にしたい」と受話器の向こうから、早口な英語で熱っぽく語った。国内の取引もそうだが、貿易の上では肌の色も文化も商慣習もまったく違う相手と、どこまで信じあえるかが決定的な要因となる。信頼と誠意。これがすべてである。セネガル側には不審と思える点がほかにもいくつか感じられていたため、代理店社長の意思を尊重し、「Let's stop to contact him」(彼=セネガル側=に接触するのはやめよう)と伝え、Tシャツ輸出の商談を打ち切った。貿易は、得体の知れぬ相手と10億円の商談をするより、確かな相手と10円の取引をする方が、よほど価値がある。

 逼迫した財政を立て直す手段として自治体にとっても貿易は大きな媒体となるが、貿易はとてもむずかしく敏感なものであるため、細心の注意と準備を要する。だが、県なり市町村なりが実際にみずから貿易に取り組み、真に信頼しあえる企業、あるいは海外の自治体との間に貿易の道筋をつけられれば、これ以上の"武器"はない。少しでも「この相手は信用できない」という部分が見え隠れし始めたら、商談を打ち切ったところで恥ではない。貿易事業にふさわしい人材を確保し、何百社もの企業と交渉をしながらエキスパートとなるべく訓練を積ませることができたら、その人材がどの職員よりも価値ある財産になることは間違いない。「貿易? そんなものに手を出しているんですか?」と、軽蔑した口で話す人に時おり出会うが、そのような言を発する人は、無論貿易の何たるかを知らず、知る必要もない。海を越えた人と人とのつながり。それが貿易ではないか。