デスクの独り言

第50回・2003年8月13日

掲示板の恐怖
 ハッカーやウイルス攻撃をはじめ、ホームページを管理する上で怖いと感ずることは多々あるのだが、掲示板の恐怖をまったく認識せず、安易にWebサイト内に掲示板を設置することもその1つに挙げられるのではないか。大館市公式HPの「みんなの掲示板」が、さんざん心ない書き込み者らに手を焼かされた挙句、市みずからの手で事実上葬ることになった。「このままでは年内にも姿を消すだろう」と予感しつつ、時おり覗いていたが、ついに担当部署の職員らもお手上げの状態に追い込まれたということだ。

 掲示板には宿命的に背負っている欠陥がある。参加者を限定する会員制なら別だが、一般の掲示板は自由自在にハンドルネームを使用されるため、書き込んだ人間の氏名はもとより、どこに所在するのかすらわからない。いわば、闇の彼方から現れて好き放題書きなぐり、姿をくらますようなものだ。厳密には、氏名、所在がわからないなどということはあり得ず、犯罪捜査に絡む場合などは書き込んだ張本人を警察がいとも簡単に突き止める。いくら中傷誹謗などを書き込んでも「犯罪まではしていない」という意識が悪意の書き込み者にはあるため、書きたい放題のことを書きなぐっているにすぎない。ただ、誤解していただきたくないのは、ここで論じているのは愉快犯のごとき"悪意の書き込み者"であって、圧倒的多数を占める快く掲示板での交流を楽しみたい善意の方々を指しているのではない。

 一握のこうした悪意の連中が、実は曲者なのである。別人なりすますどころか、1人で何人にもなったりする。大館市の掲示板にも、複数同一人物が"暗躍"する傾向がみられる。また、なりすましの例としては、昨年、合川町の掲示板で"事件"が起きた。ある善意の書き込み者が、Web上の広報が更新されていないのでぜひ更新して、との要望を掲示板でしたところ、町の課長になりすました悪意の書き込み者が、詫びの文面を事情の説明とともに書き込んだ。この事態を重くみた町側は数ヵ月にわたって掲示板の休止措置に踏み切った。かつてプロバイダや秋田職業能力短期大学校の非常勤講師などを務めたパソコンのエキスパートを職員に迎えた同町は、掲示板を再開。「書き込んだ人間の最低限の情報が、書き込みと同時に開示されるシステムを採用している。これで悪意の内容は書き込みにくいのではないか」と同職員は話す。

 行政などの掲示板は、古里を遠く離れて暮らす郷土出身者が古里の人や同郷者、また行政当局と情報交換や交流を推進する道具として、すばらしいツールの1つといえる。しかし、そこに不純物たる悪意の者が紛れ込み、善意の書き込み者や掲示板にまったく関係のない第三者、つまり個人や企業、行政などの中傷誹謗をし、掲示板そのものを不快な存在に陥れる。

 中には「掲示板荒らし」を趣味にしている者までおり、「あそことあそこの掲示板を潰してやった」などと、閉鎖掲示板を戦利品と考える愚かな輩までいる。また、徒党を組んでいるように見せかける中傷誹謗行為が、前述のように実は1人であったり、見知った仲間数人がターゲットに徹底攻撃を仕掛ける場合すらある。それでもまだ飽き足らず、掲示板の集合体に"飛び火"させて中傷誹謗を重ねるケースも多々あり、こうなると触法すれすれどころか犯罪に踏み込んでいるだけに、それを野放しにしている掲示板の集合体管理者(社)に対して警察は一層厳しい眼を向けるべきである。

 開設以来、健全ムードを維持できている掲示板も全国には多数ある。それは管理者が日々努力を重ねていることもあろうし、幸いにして善意の書き込み者だけが参加してくれるということも考えられる。ただ、一度踏み荒らされると修正は至難の技で、結局、今回の大館市のような憂き目をみることになる。さらに、Webを経営の柱に据えている企業ともなると、販促に結びついてほしいとの願いを込めて設置した掲示板に、悪意の者が自社商品の罵詈雑言を書き込んだらどうなるか。追い打ちをかけるように「お宅の会社の商品は最悪だ」という旨の書き込みが相次ぐ危険性があり、最悪の場合は掲示板の閉鎖どころか、Web自体の閉鎖、挙句の果ては社会的信用を失って倒産に追い込まれるケースすらある。以前のコラムで論じたが、掲示板への書き込みによって事実上倒産させられた企業は全国に少なくない。

 一方、不利なことを書き込まれた企業なりが、不特定多数の閲覧者に何の"あいさつ"もなく唐突に自社などの掲示板を閉鎖する行為が与えるマイナスの影響も、忘れてはならない。中傷誹謗に耐え切れず、ある日突然掲示板を閉じたとする。これこれしかじかの理由で掲示板を永久もしくは一時閉鎖することになった、これまで利用していただいた方々にお詫びを申し上げたい、という旨の表示をしておかないと、「何の説明もなく勝手に閉鎖してしまった」とこれまで好意的に訪れてきてくれていた人たちからも反発されかねない。つまりは、掲示板は開設するならするで腹を据えてかからなくてはならないし、閉鎖するならするで、ブツ切れにするのではなくきちんと「飛ぶ鳥後を濁さず」で閉じなくてはならないのである。一言でいえば、掲示板を甘く見てはならないということだ。

 当コラムでは、政治家について"ゲキ辛"な指摘をするというスタンスを貫いているつもりだが、最近、「このように掲示板の恐怖を明確に認識している政治家もいるのか」と感心させられた一例があったので、軽く触れておきたい。今春の当一地方選挙まで第57代秋田県議会議長(平成13年5月15日-15年4月29日)を務めた津谷永光県議とは、公式ホームページの管理運営をとおして久しぶりに交流を深めさせていただいている。

 ホームページの起案段階で、「掲示板の設置だけは絶対にお奨めできませんから」と切り出すと、「私も常々そう思っている。あれだけは絶対に設置してはならない」と県議は強調した。さすがに県議会マルチメディア推進議員連盟会長にふさわしく、IT推進の重要性はもとより、掲示板はなぜ設置してはいけないかまで、こちらが説明する必要がないほど熟知していた。また、掲示板にもきちんと目を通しているらしく、在住する鷹巣町内のある掲示板を指摘し、「鷹巣町長選のときの書き込みは目を覆いたいほどだった。なぜあそこまで中傷誹謗せねばならないのか」と沈痛な面持ちを浮かべた。県議自身は、Web上でも有権者との発展的な双方向をしたいと望み、結局、より多くの有権者の声に耳を傾けたいとの願いから、掲示板ではなくフォーム形式で有権者が県議に直接意見や要望を届けられるスタイルを採用した。

 掲示板。すばらしい双方向のツールでありながら、ごく一部の悪意の者が土足で上がり込むことによって、とんでもない妖怪と化す媒体。どこにでも心ない、愉快犯的な気質の人間は存在する。そうした者たちによって、残っていてほしいと純粋に善意の者たちが願う存在は、非情にも朽ち果てさせられていく。たちの悪いことに、そうした悪意の者たちは、なぜ悪いかにさえ気づいていない。哀れなこと、である。

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