嗚呼、記者クラブ 長野県の田中康夫知事は今月末までに県庁の記者室から記者クラブを締め出し、これまで利用できなかったメディアや個人ライターにも広く開放する。「記者クラブは時として排他的な権益集団と化す可能性が拭いきれない」というのが締め出しの主たる理由らしい。政治家は組織の大小を問わず記者を敵にまわしたくないから、腹の中ではどうあれ、記者に対して露骨に敵対意識を示すことはしない。田中真紀子外相のような例外はいるが、大半は報道という"勢力"に槍を向けるという無謀なことはしないのではないか。しかし、田中知事は違う。根本的に政治家ではなく体内に太く流れている血が作家の血だからだと思う。概して小説家は異端的で、本来政治家が得意とする「なあなあ主義」とはおよそ縁遠い位置にいる。だから、今回のようにためらいもなく「脱・記者クラブ宣言」ができる。 あれは、ニューヨーク・タイムズの日本駐在記者だったと思う。あるテレビ番組で、記者クラブなどという不合理なものがある日本はまったく不思議な国だ、という感想をもらしていた。欧米など海外には記者クラブは存在しないという。ならば、日本における記者クラブの存在価値とは何なのだろうか。警察や行政を含めて1記者が取材を求めてもなかなか実現しないケースが稀にある。誘拐、汚職、殺人事件など、行政や警察が簡単には情報提供したがらないものは、記者クラブという組織が要請することによって合同記者会見が可能になったりする。情報提供を渋っている相手に、記者クラブの威光をかざして圧力をかけることより取材を可能にする。そうした場合の取材で得た記事は結局、金太郎飴になってしまうのだが、いずれにせよ記者クラブが徒党を組んで無理やり取材に応じさせることに違いはない。その効き目たるやすごい。 また、誘拐事件など警察側が記者クラブに対して報道に一定の「縛り」を要請することもあり、洗いざらい情報を得た上でクラブ加盟各社は要請を受け入れる。いかにも「集団意識」が根幹にある日本の風土にあった組織といえるが、あくまで「個人」を重視する欧米の体質に記者クラブは合わないし、欧米人にはそれ自体理解しにくいようだ。 記者クラブは「このネタはまだ報道しないでおこう」ということをいとも簡単に合意形成できる。その最たるものは誘拐を代表とする重大事件で、報道によって被誘拐者に生命の危機が及ぶ場合、記者クラブ内で報道を自主規制する。この"掟"を破ろうものなら、加盟各社全会一致で「除名」の制裁を受けたりする。これが欧米など海外では記者クラブそのものが存在しないから、誘拐事件であろうが何であろうが記者がすっぱ抜けば結果的にそれが勲章になるわけだが、海外の記者、パパラッチなどの低俗な輩は別として、記者クラブというものがなくても彼らは彼らなりに自主規制意識は働いているように思える。ただ、記者クラブは国政や都道府県政、警察などに、徒党を組むことで圧力をかけることが十分に可能だし、そうしたケースが日本の報道史にはいくつもあったため、田中知事は「排他的な権益集団」になりかねないと判断したのだろう。 事実、記者クラブほど怒らせると怖いものはない。怖いどころではない。一国の主の首を挿げ替えてしまうことも容易だ。だから誰も記者クラブを敵にまわそうとは考えない。そしてまた、田中知事が指摘するようにとてつもなく排他的なのも厳然たる事実である。新聞であれば一定の発行部数に達していなければ県政記者クラブには加盟できないほか、"仲間"に入れてもらうためには全社の同意が必要ときている。弱小メディアや個人ライターが末席に加えてもらうことは不可能で、必然的に巨大メディアや都道府県紙など地場の実力メディアだけの顔ぶれとなる。 何より「排他的」なのは、そうした記者クラブが主催する記者会見、記者発表の場などにも弱小メディアや個人ライターは同席が許されないことではないか。知事との定例記者会見などが、その最たる例である。やはり「排他的」と指摘されても仕方がない。秋田県はそれを少しでも是正していこうと事務レベルで県政記者クラブと接触しているが、もし県政記者クラブが「記者室をオープンにしましょう」という決断を下させたら画期的なことだし、心から拍手をおくりたい。少なくとも秋田県の県政記者クラブは「排他的」ではなくなるわけだから。 と、ここまで述べてみて何となく記者クラブ批判のような印象を与えてしまったが、私個人としては記者クラブにかかわった4年間はとても豊かな思い出に満ちている。秋田県の出先機関などがある鷹巣町という地に、鷹巣記者クラブがある。加盟社は5社。本社、支局を合わせて5社も1つの町にひしめいているのだから、新聞社間の取材競争、販売競争のすごさは地方レベルでは全国で3本の指に入るのではないかと常々思っていた。実際に鷹巣町を舞台に取材合戦を展開し、全国に報じられたニュースはいくつもあった。 取材要請、記者会見日程などを記者クラブの幹事社がお膳立てしてくれるため、いろいろな取材が苦労なくスムーズにいった。加盟各社の記者は毎日顔を合わせ、酒を酌み交わす機会も少なくない。記者として以上に人間としてつきあったようにも思える。家族のこと、今悩んでいることなど、個々の記者の人間臭さがそのまま伝わってくる。今では本社に戻って偉くなってしまったが、ある記者とは幾度か泥酔するまで飲んだ。「ウチのカミさんは体が弱くて」といいながら、自分では1日3箱も煙草を空けていた。県政記者クラブに所属する全国紙の記者なども、数年間にわたるそうした人間的なつきあいを生涯の思い出として胸に刻み、新たな赴任地へと去っていく。記者クラブ。それはとても脅威な存在だが、その中にいるのは結構心やさしい人々であったりする。 |