デスクの独り言
                           
第46回・2003年3月22日

戦  争

 日本時間20日午前に火ぶたが切って落とされたイラク戦争は、日ごとに激しさを増し、3日目に突入した。米英軍は南部、北部数ヵ所の戦略拠点を制圧し、週明けにも首都バグダッドに3方向から攻め入る。戦争が正当化されていいはずがないことは、世界中の誰もが知っている。2度の大戦や幾多の局地戦、紛争を教訓に、「2度と戦争をしてはならない」と誰もがいう。が、人類はまたも戦争を引き起こしている。それは、いかなる努力をしても制止することのできぬ人類の運命なのだろうか。イラクの地に投下される爆弾、イラク軍が撃ち上げる対空砲火。地獄絵図とも形容し得る悲惨な光景をブラウン管越しに見せつけられ、つくづく人類の愚かしさを痛感する。

 「戦争のための戦争ではなく、イラク解放のための武力行使」というのが、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、パウエル国務長官、ライス大統領補佐官ら側近たちの主張だ。背景には大量破壊兵器への脅威がある。イラクは12年前の湾岸戦争でも有毒ガス兵器を使用し、自国民さえも大量殺戮に追いやった。イラク攻撃に対してロシアのプーチン大統領は、国連査察団の調査でも大量破壊兵器は見つかっておらず、イラクは抵抗せずに査察を受け入れていたと指摘しながら、米英の攻撃はロシアとの外交を含む深刻な国際緊張を誘発する以外の何ものでもない、と開戦直後に胸中をぶちまけた。そこに「攻撃しなければならぬ」大義名分があったにせよ、国連を骨抜きにしてしまった今回の米国、換言すればブッシュ大統領による戦争は、どうみても許されるものではなかろう。事実、米国内でも連日、抗議デモが世界各国同様繰り広げられている。

 が、そうした中で奇妙な"現象"も表れている。このところ50%台で推移していたブッシュ大統領の支持率が、一気に67%に跳ね上がった。これは米国の有力メディアが共同世論調査として開戦直後に行い、21日結果を発表したもの。イラク戦争への支持率は72%にも達したという。それぞれの考え方に多少の違いこそあれ、今結果に反映されるような傾向が米国人には見受けられる。時間の経過とともに、「やれ! やれ! やってしまえ」という国民意識が膨張する傾向である。

 一昨年9月の同時多発テロの時も同じ傾向が表れた。同時多発テロの最重要容疑者とされるウサマ・ビンラディンの引き渡しを主眼とするアフガニスタン侵攻の際、ブッシュ大統領への支持率は高い数値を示した。時の経過とともに、「大統領は正しいことをしているのだ」という意識が米国民の中で膨張してくることの表れと推察できるが、ある意味でこれはきわめて危険なことではないか。今調査結果は、米国政府の国民に対する一種のプロパガンダがある程度成功したようにもみえ、戦争を容認する米国民が徐々に増えていることを裏づけるものだ。由々しき傾向、かつ国民性といわねばならない。

 昨夜、民放がサダム・フセイン大統領の長男、ウダイ氏について報じていた。米国のテレビ局による配信らしい。報道のトーンからすれば、ウダイ氏の人物像は大変な略奪家、破天荒な性倒錯者、暴行魔であることを視聴者に強く印象づける。これをみた視聴者の中には、事実はどうあれその報道を鵜呑みにし、「やっぱりイラクは悪い国なのだ。ブッシュ大統領は正しい戦争をしているのかも知れない」などと、理論飛躍する者も少なからずいよう。番組の作り方1つによって、戦争に対する大衆意識は「悪」にも「正義」にも転ぶ。

 だからこそ、細心の配慮とともに番組を制作しないと、ほんのささいな偏りが多くの国民の意識に多大な影響を与える。この番組はウダイ氏の元側近や当時の大使などの証言も汲み上げていたが、全員が同氏について「とんでもない奴」のレッテルを貼り、「国際法廷に突き出す前にイラク国民の手で八つ裂きにされて肉の一片たりとも残らないのではないか」とまで付け加えていた。あながち間違いではなかろうが、これによってイラクそのものを「悪」と結論づける視聴者が出るのではないかと思うと、報道の恐ろしさに震えてしまう。いかなる戦争も真っ先に被害をこうむるのは、わが世の春を享受してきた政治家やその一族、側近ではなく、きわめて弱い立場の国民である。イラク国民には何の罪もない。

 制圧地でイラク婦人と言葉を交わす米兵の姿が、テレビ画面に大写しにされた。「戦争をするのが遅かったくらいよ。フセインは私の息子を殺したの!」と、婦人は訴えた。フセイン大統領の巨大な肖像画が米兵と市民によって切り裂かれ、ほんの束の間、米海兵隊員は建物屋上からイラク国旗をもぎ取って星条旗と海兵隊旗にすり替えた。その光景を見守るイラク国民たちから敵意は感じれぬどころか、「サダム・フセインの時代は終わった」とシュプレヒコールすら飛ばしている。まさにその光景は米兵たちを歓迎しているかのようだ。米兵に抱きついたり頬に口づける者までいる。それを目の当たりにすると「ブッシュはやはり正義を行使しているのか」と思いたくもなる。が、タリバン制圧直後にアフガニスタンの国民らが小さな星条旗を手に手に米軍兵士を迎え入れていた映像は、米国の大手広告代理店のやらせである事実が曝露された。今回も、映像の一部始終を鵜呑みにすることの危険性は肝に銘じなくてはならない。

 ブッシュ大統領は「一般市民の犠牲は最小限にとどめたい」としているが、「1人も出さない」とは断言していない。それ自体戦争という極限の状況では不可能で、イラクのサハフ情報相はきょうになって、「207人の民間人が攻撃によって病院に運ばれた」と訴えた。また、これもイラク側からの不確かな情報なものの、約50人の子どもたちの命が奪われたという。攻撃が激しさを増すにつれて、今後大量の死者が出る可能性は否定できない。

 イラク軍兵士だけではなく米英軍兵士からも、自国ヘリコプター同士の衝突による「犬死に」を含む悲惨な犠牲が出ている。「名誉の戦死」を遂げた夫や息子の訃報を聞かされる家族の悲しみは、計り知れないはずだ。戦争には後々、とてつもない悲しみ、憎しみが付きまとう。そしてそれは、国家が忘却しても、かけがえのない者を失った者からは生涯消え去ることはない。それを知っていながら、人類は再び戦争の魔力に憑依されるのである。

 同時多発テロの時、米軍はタリバンを攻撃したものの、結局、ビンラディンは今も生存しているとの見方が支配的だ。これからすれば、米国はテロへの報復攻撃を強行することによって罪もない多くのアフガニスタン国民の命を奪い、大量の難民を生み出しただけということになる。最大の目的を達し得なかった米国だが、世界に対しては湾岸戦争の時と同様に、「恐いアメリカ」を印象づけた。これは決して望ましいことではなく、今回の戦争によって「恐い」から「恐ろしく、征服的なアメリカ」という形容に変わっていく可能性すらある。

 日米、そして世界にとって北朝鮮問題はイラク問題と同様、深刻である。好戦的な北朝鮮はこの戦争をどう見ているのか。北朝鮮は米国に強く憤っている。常に米国を支持する日本に対しても、拉致疑惑問題のしこりもあり、いい印象を持っているはずはない。今のところ可能性としては低いだろうが、万が一、米国が北朝鮮に対してイラクと同じような行為に出れば、北朝鮮と目と鼻の先にある日本にとっても深刻な事態となるのは予想に難くない。戦争は絶対にしてはならない。人類を人類の手によって滅亡させぬためにも、いかなる理由があれ、戦争はしてはならない。

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