デスクの独り言
                           
第44回・2003年2月5日

地方公務員の素養

 新卒予定者の就職戦線が終盤を迎えている。県内の高校は過去最低の内定率という厳しさで、県庁や市町村役場など地方公務員志望組も狭き門の中で熾烈な就職戦線を強いられた。公務員といえば、以前から気になっていたことがある。採用試験のあり方。合格者は超難関をくぐりぬけて採用の"切符"を手にするわけだが、本当にこの人材は優秀であるがゆえに合格できたのだろうかと、疑問符を呈したくなるときがある。

 例えば、新卒者が大館市役所の初級、中級、上級いずれかの試験に合格したとする。筆記による試験は一般教養。市販されている公務員志望者用試験問題で、傾向と対策を攻略すれば合格できる可能性はある。そして面接。これも受験者の人物像をある程度把握する材料にはなる。しかし、現状の筆記試験、面接だけで合格者が本当に市職員としての資質を過不足なく備えているかを把握できたかといえば、市当局ですら自信が持てないのではないか。

 最も求められるのは、合格者に"郷土人"としての常識が備わってかいるか否かということだ。大館市の場合なら、受験問題に「市の四役の氏名を述べよ」、「市が念頭に置いている2市3町合併にかかわる市町を述べよ」「現在建設事業を進めている市内の小学校はどこか」「市内に2つある短大(短期大学校)の名称を述べよ」「市はある生き物の名をとって○○○の古里とPRしているが、○○○とは何か」など、日ごろから広報なり地方紙を読むなりして大館市についての基本的知識を素養として身につけておかなければ合格できないような"ローカル的"試験を、現行の試験に加味しない限り、その合格者が大館市のことをどの程度知っているのかを掌握できない。1次試験は一般教養、1次通過者を対象とする2次試験は作文、適正検査、面接で構成するが、市であれば県内9市、郡部であれば60町村が同一の教養試験を行うため、そこにそれぞれの自治体の独自性は存在しない。

 郷土に関する基本知識を素養としてきちんと身につけている者が、本来あるべき地方公務員たる姿だ、といいたい。「合格してから勉強します」では、お粗末すぎる。これは大館市に限ったことではないばかりか、市町村のみならず県職員についても同様であろう。秋田県に関する常識をさほど身につけていない者が、机上の一般教養やわずかばかりの面接で高得点を取って合格しても、県行政を担っていく職員としてはいささか頼りない。実際に取材などをとおして、「どういうわけでこの人、合格したの? あまりにも地域や秋田県のことを知らなさすぎる」と思いたくなる市町村、県職員に時折お目にかかり、これは採用試験段階でのミスなのだと思わざるを得ない場面があるための指摘、と受けとめていただきたい。

 素養の欠落は、若手職員に限ったことではない。以前、比内鶏を題材にしたコラムでも触れたが、比内鶏や比内地鶏を物産、町おこしの目玉にしているH町には「比内地鶏はいるが、比内鶏は存在しない。あれは架空のものだ」などと言ってはばからなかった在職25年以上の職員がいるし、ITに積極的に取り組んでいるはずのA町では未だ少なからずの職員が電子メールも満足に送信できないという。電子メール未熟職員が多い自治体は、A町に限ったことではない。しかし、帰宅してからでも個々に勉強しようとする姿勢の乏しさは否めず、そうしたことをひっくるめると、やはり素養に欠ける地方公務員が少なくないことを痛感せざるを得ない。

 秋田北地方の民間企業は、総じて厳しい経営を強いられている。市役所や役場はよもや倒産することはなかろうが、同地方の10市町村はいずれも民間同様に厳しい経営(財政)事情だ。A町の職員は「紙類の節約はもちろん、今はコーヒーも各自持参、名刺の印刷代も自己負担」と、半ばあきれたように話す。そうした状況下に置かれれば置かれるほど、職員個々は「公務員はエリート」などという顔はしていられないだろうし、日々自己研鑽を積んで素養を高めていかなくては、市町村民の気持ちや痛みなどわかり得ない。

 先日、大館市のある職員が「私は臨時職員なので、一般職員と違ってボーナスも出ないし、安い給料に甘んじている。勤務して10年ほどになるが、採用試験を受けたくとも、若年層しか採用しないため受験すらできない。この仕事が好きだからやっているが…」と語尾を濁した。そして、年下の一般職員の態度や知識の欠落ぶりにはたびたび落胆させられる、とも。高倍率をかいくぐって正職員になった者の心のどこかには、臨時職員を見下す気持ちがあるのかも知れない。もしそうだとしたら、それもまた地方公務員としての素養の欠落からくるものではなかろうか。

 一方で、一般職員と同等もしくはそれ以上の任務分担をしておきながら、長い歳月にわたって一般職員と著しい賃金格差をつけたままの労働環境をよしとする行政も、批判のそしりを免れない。採用試験なしに一般職員へ格上げするのは無理があるにせよ、せめて採用試験の対象者に「3年以上臨時職員として籍を置き、勤務成績、態度とも優れた者」の受験枠ぐらい設けてしかるべきではないか。でないと、行政はいつも「労働者に顕著な格差をつけている」と受けとられても仕方がない。民間企業はそれが日常茶飯事の世界だが、労働環境の規範たるべき行政までがそうあってはならない。是正のために条例改正の必要があるなら、そうすべきであろう。

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