デスクの独り言
                           
第43回・2002年11月24日

勝ち組、負け組

 23日朝のNHKニュースで「第2創業」を特集していた。その熟語は耳新しい響きを感じさせる。景気が底をうったとはいえ依然深刻な不況を背景に、屋台骨を支えてきた事業がジリ貧になるどころか、このままでは近い将来倒産しかねない企業が本来の事業を捨てて断腸の思いで臨むのが第2創業、と解釈する。繁盛していれば第2創業などする必要はないし、別の事業にも触手を伸ばすとすれば、それは第2創業ではなく事業の新規拡大ということになる。そうした意味からすれば、第2創業の根底には沈痛な悲壮感が横たわっている。

 同特集で紹介された浜松市の企業は、大手車両メーカー下請けの部品製造会社だった。ここ数年赤字経営を強いられ、部品をつくればつくるほど赤字が膨らむ深刻な経営状態だったという。大型企業の下請け、孫受けの地位に甘んじざるを得ない中小企業は、当然のことながら常に倒産と背中合わせの宿命を負わされている。好況時は経営の安定を維持できるが、ひとたび深刻な不況に陥ると、頼みの綱である企業からの受注は激減し、卸単価を半ば強制的に引き下げられ、最悪の事態になると完全に関係を絶たれる。発注企業にのみ依存していると、そこで万事休すである。

 浜松の会社はそうした状況から何とか脱却し、生き残りをかけて8月末で依存体質に見切りをつけ、みずからの脚で歩き続けようとあえて第2創業を選んだ。部品製造のノーハウがあれば、営業努力で製造関係の仕事を受注するのは不可能ではなかろう。事実、オートバイの展示機材関連の受注などを得て年内は何とかしのげそう、との紹介がなされていた。いかなる事業で第2創業をするのかはまったくの手探りで、さしあたって自分たちのノーハウを活かせる事業を、ということのようだった。

 ふと思ったのだが、第2創業というのは何年も前から綿密な計画を立て、すべてが整った時点で踏み切るのが、本来のあるべき姿なのではないか。この会社は下請け体質を脱却してみずから立ち上がったことでは「第2創業」なのだろうが、製造という業種に変化がないことからすれば、厳密な意味での「第2創業」ではないようにも思える。例えば、Tシャツメーカーが食品小売会社に"転身"するといった、まったく別のジャンルに活路を見出すのが、本当の意味での「第2創業」ではないかと考えるのだが、ただこれも狭義にとらえるか、広義にとらえるかによって解釈は異なろう。

 話はここ秋田県北部に飛ぶ。本年度は廃業などを背景に、今月15日現在で912人が離職を強いられた。9職安では、大館管内が509人と半数以上を占める。少しずつ失業者の増加がスローダウンしてきているようではあるが、このエリアはまったく不況を脱しておらず、業種によっては深刻の度を増している。多くの事業所がこうした厳しい事態を、爪に火を灯す思いでしのいでいると形容した方が、方々で聞かれる「不景気でまったくだめだ」との声からも妥当といえそうだ。そうした声に同調し、不況なのだから自分の会社がジリ貧でも仕方がない、などと納得してしまうと、結局は負け組でしかなくなる。そこが辛いところだ。

 午前10時に開店する大館市内のあるディスカウントショップは、開店前から多くの消費者が広い駐車場内に陣取り、自動ドアが開くのを待っている。待ちきれない人ら10数人が、車を下りて自動ドアの前で並ぶように立っている。7、8カ所ほどのレジには、開店から30分も経ぬうちに長蛇の列。その光景を目の当たりにすると、「1人勝ち」という言葉が脳裡をよぎる。周辺の大型店にとっても脅威となっているその店舗は、価格、品揃えとも魅力があるからこそ客が吸い寄せられる。結論は単純明快だ。対消費者であろうが、対取引先であろうが、魅力がなければ生き残れない。勝ち組として残るというのは、そういうことなのではないか。

 老舗デパート「正札竹村」が倒産した昨年夏以来、一層活気を失った大館市大町通り。「客が1人も来ない日が月に何日もある。このままでは廃業だ」と、ある経営者がうなだれた。老舗倒産による大打撃は理解できるし、地元商店街振興組合などが中心になり、イベントで活気を取り戻そうと努力しているのもわかる。だが、個々の店舗が本当に消費者をひきつける努力を続けた結果、それでも客が来ないのか。最も肝心なその努力を怠っているとしたら、眼前に待ち受けているのは「負け組」の仲間入りしかあるまい。

 旧態依然とした経営体制で「お客が来ない、物が売れない。不況だ」と嘆いていても、何の解決にもつながらない。無論そんなことは、指摘されなくても経営難にあえぐ経営者自身が百も承知していることで、どうしたらこのジリ貧を脱却できるかと、日夜思案に暮れている。それでも何ともならず、いいアイデアも出ないからこそ、辛いのである。脱サラをして起業しても、5人中4人までに3年以内にさじを投げる。法人であろうが個人企業であろうが、経営するということ自体地を這う思いを味わうばかりか、生き残るのは至難の技なのだ。かつ、勝ち組の仲間入りをするのは、よほどの経営才覚に加えて運も味方しない限り、ほとんど奇跡に等しい。

 辛いのは、経営者ばかりではない。会社経営が安定した状態ならいい。しかしこの不況下では、あてにしていた企業、客からの支払いが滞り、中小企業が大打撃を受ける可能性はバブル以前に比べて格段に高くなっているばかりか、株価が全国の銀行、企業に与える影響も大きい。つまりは、多くのサラリーマンが薄皮1枚で会社とつながっている状態だということだ。大館市内の高校でも、世帯主の失業によって月々学校に納める学費にも事欠く世帯が目立ってきていると聞く。

 経営者は、何とか会社を維持したいと第2創業などあらゆる手段を講じ、血を吐く思いで努力を重ねる。そして、労働者は失業という最悪の事態だけは避けたいと願い、少しでも増収増益につなげようと努力を重ねる。企業が勝ち組として生き残るには、今後一層経営者と労働者の歯車がうまく噛み合わなければならない。倒産、失業はもはや対岸の火事ではなく、誰にでも、どこでも起こり得る時代に突入している。

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