デスクの独り言
                          
第41回・2002年9月22日

大きな古時計

  
 先日のこと。料理屋で友人と食事をしていると、有線放送から懐かしい曲が流れてきた。「大きなノッポの古時計〜」で始まる哀愁を帯びた単調の曲。ポピュラー系であろうそのチャンネルから突然転がり出た「大きな古時計」は、さながら遠い彼方から舞い戻ってきた異質な音楽のように思えた。どこかに置き忘れた大切なものを思い起こさせたといっていいかも知れない。音楽事情に疎くなっていることもあり、その時点では誰が歌っているのかまったくわからず、新人が唱歌のスタンダードナンバーをカバーしたのが、偶然有線から流れたのだろう、ぐらいにしか思わなかった。

 それから2日ほどして、NHKの朝のニュースで「大きな古時計」がアーティストのインタビュー入りで取り上げられていた。歌っているのは平井堅さん(30)。昭和37年にNHK「みんなの歌」で初めて紹介されたその曲は、唱歌として国民の心にとけ込んでいった。米国のヘンリー・クレイ・ワークが今から126年前の1876年に書き下ろした「My Grandfather’s Clock」が原曲。

 平井さん自身、少年時代からこの曲には強い思い入れがあり、コンサートでも歌い続けてきたという。CDジャッケットに使用している時計の絵は、彼が小学4年生の時に描いたものだった。前述のように音楽事情に疎くなっているため、彼の歌う「大きな古時計」が4週連続ヒットチャート1位で100万枚のミリオンセラーになっているのも知らずにいた。ここまで知らないと、疎いどころの話ではない。

 精神が老いたのか。最近は、何気なく耳に飛び込んでくる日本のポピュラー音楽で胸を打つ作品は1曲もない。無論それは、自分にとって、である。若者たちを熱狂させるアーティストやグループは多いのだが、若者たちが彼らの音楽の何に心を熱くしているのかすら、わからなくなった。コンサート会場に出向いて茶髪の若者たちと一緒にサウンドの洪水に酔いしれる気も、当然のことながらさらさらない。

 あるいは、それは自分だけのことではなく、最近の音楽は心に響かない、と感ずる人は意外に多いのかも知れない。明石家さんまさんが、みずから司会を務めるトーク番組の中でゲストに対してこんなことをいっていた。「一定の年代の人たちは、高齢になってもカラオケで歌える曲があるからいいですよ。でも、今の若い人たちはお年寄りになってカラオケで歌える曲なんか、ないのとちゃいまっか?」。さすが、さんまさん、と感心したのを憶えている。これから数十年後にまだカラオケが存在するのかどうかは別として、彼がいいたかったのは、かつては国民レベルで歌い継げるスタンダードな曲がたくさんあったが、今は「10代や20代の娘(こ)が60代、70代になってもカラオケで歌えるような曲は存在しない」という意味だったと解釈している。今でこそ若者たちも流行りの曲をカラオケで"がなる"ことはできようが、高齢の年代に達したときに歌える曲は皆無とはいわないまでも、きわめて少ないのではないか。むしろ、若者たちが高齢になっても心に残り続ける歌があるのだろうか、という疑問に行きつく。

 そうした中で平井堅さんが、荒れた世相の今、「大きな古時計」を歌うことの意義はきわめて大きい。ヒットチャート1位にランクされるには当然、若者たちの支持が不可欠だが、その点を考察するに、社会現象的なレベルまで"牽引"できるアーティストはやはり限られており、女性を中心に絶大な人気を誇る平井さんか、歌唱力はともかくSMAPぐらいしか思い当たらない。それ以外のシンガーで上位ランクも可能かも知れないが、大半は「大きな古時計? 何、それ。ダサ!!」と、若者たちに嘲笑されるのが関の山だ。

 平井さんは「もう1度あの古い家の中をぶらついてみた」の歌い出しで始まる「大きな古時計」の続編もCD化する予定という。今回カバーした曲は現代人が忘れかけていた郷愁、家族愛、生きることの意味を再認識させてくれたが、次から次へと洪水のごとく新たな曲が出ては消える音楽シーンの中で、続編といわず「大きな古時計」のような真に価値ある楽曲を多く歌ってくれることを、彼には期待したい。

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