なんでやねん 政策秘書の給与流用問題で衆院議員を辞職した辻元清美氏については先のコラムで厳しい指摘をしたが、厚顔無恥ここにきわまれりという事実が浮上し、再び指摘の必要性に駆られた。社民党の前政審会長である同氏が、著書「なんでやねん」を出版した。出版自体、さしたる問題ではない。今後問題視され、物議をかもすことが予想されるのは執筆時期である。 3月26日の議員辞職届提出を経て、辻元氏の参考人招致は4月10日に予定されていたが、「強度不安神経症」などと診断され、延期された。「なんでやねん」は入院していたまさにその時に執筆していた著書、という見方が確実視されている。それこそ「辻元さん、なんでやねん」といわねばならない。「強度不安神経症」は文字どおり、強度の不安を背景に神経が衰弱しきった状態である。健全な人間ですら短期間に1冊の本を書き上げるのに、途方もない精神的エネルギーと集中力を要する。「強度不安神経症」の人間にそのようなことが可能なはずはない、ことは専門家でなくともわかる。 「なんでやねん」には現行の秘書給与制度について「『悪法も法』ですむことではない」などと記し、政策秘書の給与流用追及を「空論」と決めつけるなど、辻元氏は衆院参考人質疑での謝罪と裏腹にまったく反省の色をみせていない。同著はみずからが渦中にあるときの内容が柱となっており、「強度不安神経症」で入院中に執筆したであろうことは疑いの余地はない。つまりは執筆のための入院であり、仮病だったことになる。本人の「状態」などを考慮した上で参考人招致を延期したにもかかわらず、当人が病気療養どころか病室でせっせと「なんでやねん」を書き上げていたとすれば、それこそ国会冒涜であり、国民や支持者を欺いたことになる。 みずから所属していた民主党に嫌気がさして離党、そして議員まで辞めてしまった大橋巨泉氏もそうだったが、辞職後に前国会議員などが著書を出版するケースは珍しくない。社会の注目を浴びながら離党したり議員辞職したり、などの場合は著書によって持論や己の正当性を世間にアピールできる。注目の度合いが高いほどベストセラーも期待でき、収入も少なからずもたらされる。 辻元氏の場合も、参考人質疑などをまっとうしてからの執筆開始であれば何ら問題はなかった。しかし、「強度不安神経症」の名のもとに病室にこもり、怒りにまかせて「なんでやねん」を書き上げたとすれば、良識どころか常識を問わねばならない。なぜそうまでして、性急に「なんでやねん」を出版する必要があったのか。「国民の皆さんに私の考え方、そして間違った政治をきちんと認識してもらいたくて」ということが恐らく根底にあるだろうし、ベストセラーになろうことも十分すぎるほど予想できる。さらにまた、「辻元さんの考えはやはり正しい」と、改めて見直す読者も少なからずいよう。その前に、読者に問いたい。「いつ書いたのか、あなたはきちんと理解し、そこまで受け入れる心の準備はできているのか」と。話題になっているので私も買います、では論外である。 先のコラムで辻元氏を批判しているので、2度は触れまいと考えていたが、再び書くことになったついでに議員辞職当時と衆院参考人質疑の模様について、少し言及したい。3月26日、辻元氏は「今ここでバッジを外します」の言葉とともに、黒だかりの報道陣の前でスーツの胸から議員バッジを取って見せた。その時の様子をテレビで食い入るように見つめていた友人が「最初から外して来いよ。なんで、カッコつけてマスコミの前で外すんだ」といった。友人だけではなく、同氏のオーバーアクションに不快を感じた国民は意外に多いのではないか。 そして、延び延びになった挙句に行われた参考人招致。辻元氏は「泣かないつもりでしたが」などといいながら涙を流し、「自分の存在が(政治不信を)深めてしまった」と詫びた。その涙でマスカラは剥げ、無残な印象を与えた。同氏への質問に立っていたある議員が「泣かないで下さい。辻元さんの支持者の皆さんから、辻元さんを泣かせないでと頼まれていますので」と本気か冗談か、わからぬ口でいった。小泉氏は「何度も俺の名前を呼ぶな。聞こえとるわい!」と返したかったであろうが、「総理、総理、総理」と連呼したことでも代表されるように、辻元氏に国民がいだいていた印象は力強さやエネルギッシュなイメージではなかったか。本会議でも物怖じせずに小泉氏を追及する辻元氏が、参考人招致という極度の緊張を強いられる場で感極まるとは考えにくいし、急にか弱い女性に変身して涙を流すとも考えにくい。勢い、またオーバーアクションしてるよ、と思わされてしまうのである。 かつ、辻元氏を追及するために質問に立つ議員の口からこぼれた「辻元さんの支持者の皆さんから、辻元さんを泣かせないでと頼まれています」との発言には、仮に冗談混じりだったとしても、国会議員はここまで愚かなことを口にするのかとあきれ返った。泣かせてしまったことへの弁解らしきその一言が場の緊張感を瞬時にして殺し、参考人招致すらも茶番ではないのか、と思わせた。全国が見守る中、国会議員たるもの、細心の注意を払いながら一言一言を発するべきである。多くの国民が知っているはずなので、議員の名はあえてここでは明かさない。 「なんでやねん」に話を戻すが、同著の中で辻元氏は、自分のことをさしおいて田中真紀子氏の秘書給与疑惑報道を取りあげながら、「証人喚問も刑事告発も全くない。なんでやねん」などとこきおろしている。また、秘書給与流用が社民党の組織ぐるみだったかという点については「社民党つぶしのたくらみがある」などと、反省心を棚に上げ、論点を他にすり替えている。今に至ってもそのような手法を使うのは、彼女自身に「政治屋」の垢が二重三重にこびりついている証しにほかならない。そんな了見では、まがりなりにも一票投じてくれた有権者たちを愚弄していると断じざるを得ない。まさに、辻元氏に対して「なんでやねん」と問いたい。 |