異端の武道家 孤高の武道家 鷹巣町の武道修練道場「北士館」の七尾宗専館長(57)は、8月に秋田県で開かれる第18回ワールドゲームズの空手道で模範演武を披露する。数回にわたって辞退したが、「国際的に活躍しているあなた以外にこの大役を果たせる武道家はいない」との熱い申し入れを関係者から再三にわたって受け、結局断りきれなくなった。 「日本の古武術を国内外の人に知ってもらう良い機会なので引き受けようと思うのです」。七尾館長はある夜、私にそういった。賛同を求めているかのようだった。その時ですら迷いはあったのだと思う。日本武道を知ってもらう絶好の機会。が、売名と受け取られはしないかとの危惧を払拭できずにいる。武道一筋におのれを磨いてきた人間なら周囲がいかに不協和音を唱えようと寸分の迷いもないはずである。しかし、人間七尾宗専は違う。繊細であるがゆえに苦悩する武道家。 初めて館長に会ったのは今から10年前。記者としてという以上に、「武道に対する理解者」として接していただいている。高校時代に剣道、大学時代に極真会館総本部で空手を学んだ私は、剛柔流荒川派正統後継者であり、関東以北唯一の伯耆流(居合道)師範であるという七尾館長と、時おり「武道精神論」を交わす。 「K1の決勝戦、テレビで観ましたか? 初出場でいきなり準優勝したあの選手、実は私の弟子なのですよ」「極真会の高段者たちは何人も道場破りに来ましたが、誰も私にはかないませんでした」等々、館長の口からこぼれる屈託のない"自慢話"には「そうなんですか。すごいですね」と受け流す。そんな世俗な話は、館長の茶目っ気なのだと思えば何の支障もない。「真の武道家は人に自慢などしてはいけない」という固定観念は七尾館長の前では必要ない。むしろ人間臭くていいではないか。 鷹巣町に道場を構えて26年。「七尾は武道家じゃない。ただの売名家だ」という話を"アマチュア武道家"たちから聞いた。東京ならまだしも、片田舎で武道家として道場を続けること自体、強固な信念がなければできるものではない。周囲の"アマチュア"たちはその武道家を嘲笑する。かつて門弟だった者までが「高弟でござい」という顔をする一方で、恥も外聞もなく悪口を吹いてまわる。「先生、いけませんよ。あなたは弟子に技を教えはしたでしょうが、人間性はまったく育てていない。そのような者が先生のことを吹いてまわるものだから、結局先生自身が誤解される羽目になるのです」と、私は苦言を呈した。「確かにおっしゃるとおりです。私の弟子だったころの彼らは心底武道に情熱を傾けていたのですが、やめてからは精神面の成長がすっかり止まってしまったようです」と館長は、いかにもすまなそうに返した。それはあなたが武道家として彼らに本当の人間教育をしてこなかったからだ、と再び苦言を上乗せしようとしたが、喉もとに押しやった。 元弟子たちが自分を中傷していることも、うわべで親しくしているように見せながら誹謗する"アマチュア武道家"たちのことも館長は十分に知っている。しかし、それに対してとやかく反論はしない。孤高を貫いている。そこが妙に、宮本武蔵に相通ずるところがある。傑出した武人でありながら武蔵もまた俗世からさまざまな誤解を受けた。いちいち弁明しないから誤解はついてまわる。 片田舎には七尾館長の理解者は多くはないが、海外にはたくさんいるのではないか。ミネソタ州立大秋田校は「日本人の心を大切にする武道家」として評価し、数年前から講師に招いている。そして、今月4日からは武道団体の招きで何度目かの中国訪問。武道の大国、中国の武道関係者らは七尾館長を「睨下(げいか)」と呼ぶ。「陛下」に近いほどの称号。ある時、欧州を知人と旅し、七尾館長は夕食がてらパブに入った。店内の壁に驚愕した。数メートルの特大ポスターに日本語で「武道」と書いてある。ポスターの写真が何と稽古着姿の自分だった。当の本人がポスターを背にして食事をしているのに気づき、オーナーや客たちが目を丸くしたのはいうまでもない。 「七尾の技は正統派ではなく、我流ではないのか」と疑問を投ずる者がいた。正統派が何たるかを明確に咀嚼しての指摘ではない。いかなる流派も産声をあげた時は我流に違いないし、その多くは「外道」とまで罵声を浴びせられる。七尾館長は正統派を受け継ぎながらも常におのれの技を研究している。だから異端視される。結局は、異端の武道家は孤高を貫くしかないのである。 ワールドゲームズでは、日本の武道家を代表して模範演武をすればいい。いかにすばらしい演武を満場の観客の前で披露しようとも、色眼鏡をはずせぬ田舎の"アマチュア武道家"には、人間七尾宗専の原色などうかがい知るはずもないのだから。
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