デスクの独り言
                           
第25回・13年12月8日

「構造改革」云々

準大手ゼネコン、青木建設(大阪市)の民事再生法適用申請や、全国の地方信用組合の相次ぐ経営破たんなどに代表されるように、国内の経済情勢、雇用環境は今後ますます悪化が予想される。いずれ完全失業率が5.4%どころでなくなるのは目に見えている。経済の歯車が逆回転しているような風潮の中、国民の立場からすればどこに怒りをぶつけたらいいのかもわからぬ状況にあって、小泉内閣にかかる構造改革への期待はますます高まる。中小企業庁はきのう、青木建設関連中小企業者対策として相談窓口を設置するとともに、セーフティネット保証や中小企業倒産防止共済制度などの各施策を開始した。こうした施策も今後一層、重要性を帯びてくるであろう。

青木建設の再生法申請が受理された今月6日、小泉氏は「構造改革が形となって表れてきている」という趣旨のコメントを出した。受けとめ方によっては、崩壊しかけている企業の行く末をあんずる言葉の代わりに、「どうだ、構造改革の結果が出てきただろう」といわんばかりの鼻高々さに見えぬ向きもないが、今が最も苦しい時で、小泉流の荒療治が少しずつ形として表れてきているのであれば、国民の多くも「今後の展開を見守ってやろう」ということになるのかも知れない。とはいえ、東北地方の負債額1千万円以上の企業倒産も先月末で千数百社を数え、負債総額は5千億を突破し過去最高を記録した。こうした状況は無論東北だけのことではなく、全国が超氷河期から抜け出せずにいるわけだが、小泉氏の構造改革に対して「将来展望が見えない」と指摘する国民が多いのも事実。もっと明確なビジョンを示していただきたいと願わずにはおれない。

ところで、過去のコラムで田中真紀子批判論を書いたことがあるが、むしろ最近は四面楚歌の中で田中さんは孤軍奮闘しているなと、感心させられる。外務省の三百数十人大量処分。同省職員らの激しい抵抗にあっての"綱紀粛正"。何が彼女をそこまでさせるのか、と時おり考えさせられる。父、角栄の血を継ぐ者としての確固たる誇りか、あるいは政治家としての正義、倫理感、はたまた国民に対する存在のアピールか。秘書の離反、外務省職員の抵抗、あらゆるものを敵に回しかねない鋭利な刃のごとき雰囲気を漂わせていた田中さんも、その必要性からか最近は仕草に柔らかさが表れてきたように思える。

いずれにせよ、外務省の膿を事実上単身でしぼり出した度胸と決断力は、やはり父親譲りかも知れない。「よくよった」と拍手を送りたいが、本来、あのような"悪慣行"は外務省だけということは考えにくく、
各省庁が長年にわたって国民の血税を自分たちの飲み食いや私用にあてていたのではないかという不信感は、今や国民の多くがいだいている。この際、全省庁を首相たる小泉氏の檄(げき)のもと、徹底調査すべきではないか。そうすることによってむしろ、「私たちは一切の不正なく財源を国民のために使用しています」と、国家公務員も堂々と胸を張れるのではないか。

雇用情勢に関連して最後に、雇用保険に触れたい。ある会社を辞めた知人が最近、雇用保険をもらいながら自ら起業する準備をしたい、と話していた。「失業後、あなたが起業を思い立った時点で雇用保険の需給資格はなくなりますよ」とハローワーク職員。起業の準備を開始した人は、雇用保険は1円ももらえず、起業に際する経費のみが肩に重くのしかかることになる。失業者を国が本当に支援し、起業を含めてバックアップするのであれば、起業を思い立った人間が自らの営業等によってせめて初収益が上がるまでは雇用保険が大きな支えになってしかるべきでないか。

それは起業の促進につながるし、ひいてはそうした起業者が立派に事業者として自立し、雇用の創出する可能性も期待できる。失業して藁をもすがる人が、ハローワークのカウンターで「事業をやってみようかと思っているんです」と切り出したとたん、「あ、事業やるんですか。だったら、雇用保険、1円も出ませんよ」では薄情すぎる。これでは出さないための雇用保険と指摘されても仕方がない。「雇用保険の趣旨を理解して下さい」とハローワーク職員にたしなめられるかも知れないが、まぎれもなく旧態依然とした「趣旨」は手直しを加えられるべきときを迎えている。小泉内閣が景気、雇用対策を真に最重点課題と受けとめているのなら、こうしたまったく改正されていない部分にも陽光をあててこそ、真に「国民のための政治」といえるのではないか。