デスクの独り言
                           
第21回・13年9月19日

人類最大の試練

悪夢の同時多発テロから1週間余が過ぎた。人類は今、最大の試練に直面している。米国だけではない。人類が、である。第1に、2度の大戦で戦争の悲惨さ、不条理さ、無意味さを痛感した人類のほとんどは、戦後から今に至るまで「反戦」と「世界平和」を祈り続け、多くの人間がそのための運動に多大な時間と努力を費やしてきた。「戦争は2度とあってはならない」という悲痛な思いで。しかし、再び戦争は勃発しようとしている。「攻撃を受けた」という米国の国民の8割以上が「報復攻撃」を支持。およそ人類にとって「許される戦争」などというものは存在しないはずだが、今回のことで人類は一つの教訓を得た。「正義」を旗印とする「許される戦争は存在する」のだと。

だが、すべての人類が本当にそう思うだろうか。確かに、今回のテロ事件で亡くなられた方々、そして今も行方不明になっておられる方々に対しては、痛恨とお悔やみ以外に言葉が見つからない。航空機が世界貿易センタービルに激突した瞬間、摩天楼が音をたてて崩れた瞬間、そして行方不明者を探すための現場活動の悲惨かつ生々しい光景、は誰にとっても生涯忘れることのできない歴史的負の遺産となろう。

今回のことについては「戦争を仕掛けられた」と位置付けるか、「テロ事件が起きた」と位置付けるか、つまり「戦争」と「事件」のいずれに振り分けるかによって対応はまるで異なる。事件直後、ブッシュ大統領は「犯人には必ず法の裁きを受けさせる」と明言した。「事件」としての認識。後に、「これは戦争だ。報復攻撃をする」と大統領は言い改めた。国際法上、「事件」であれば報復攻撃はできない。しかし、「戦争を仕掛けられた」となれば報復攻撃は可能となる。ホワイトハウス内であらゆる角度から対応策を練った結果、「事件」から「戦争」に転嫁することが得策との結論に至ったのは容易に察せられる。

今現在、同時多発テロの最重要容疑者とされるウサマ・ビンラディン氏の引き渡しが最大課題となっている。かつてPLOのアラファト議長は、暗殺を警戒して一晩に2度移動した。ビンラディン氏はアラファト議長の比ではなく、頻繁に移動を繰り返しているため、所在をつかむのは至難の業という。最も問題なのはビンラディン氏は絶対に渡さない、との考えをタリバン政権の最高指導者オマル師が堅持している点。

タリバン政権は5年前、アフガニスタンで純粋イスラム国家の樹立を目指して誕生した。兵力は約4万人。ビンラディン氏とアフガニスタンとは、ビンラディン氏による支援を通じて80年代中盤から深いつながりを保ってきた。ビンラディン氏に恩義のあるアフガニスタンが、隣国パキスタンの圧力に屈してビンラディン氏を米国に「差し出す」とは、現時点では考えにくい。タリバン政権は「同じイスラム圏になら引き渡しの用意はある」との意向を示しているものの、それだと米国が納得しないだろう。

そうした動きと併行して、多国籍軍を前提とする報復攻撃の準備は着々と進んでいる。「これまでの戦争とはまったく違う相手の見えない戦争。米国にとっても困難をきわめ、湾岸戦争とは比較ならぬほど長期に及ぶだろう」とパウエル米国務長官。エジプトのムバラク大統領は「戦争は人類にとって何一つ得るものはない。やめるべきだ」との声名を出した。その思いは誰しも同じで、できることなら戦争などしないで、というのが人類の偽らざる願いではないか。

報復攻撃を断行するなら、イスラム諸国の反発を招かぬよう、細心の配慮をしなくてはならない。でないと、イスラム諸国そのものを敵にまわしかねない。国連安保理も米国へのビンラディン氏引き渡しをタリバン側に勧告したが、中国は「報復攻撃をするには国連安保理の承認が必要」との考えを示すなど、国によって微妙に受けとめ方には違いがある。それだけむずかしい局面を迎えていることを意味する。

報復攻撃=戦争が始まれば、米国はビンラディン氏率いる3,000人の戦闘員はもとより、タリバン政府軍も一網打尽にするであろうし、何の罪もないアフガニスタンの民や子供たちの命が数万、数十万人規模で失われる危険性がある。そうなるとこれは、いくら「正義」を旗印に掲げているとはいえ、「やられたからやり返す」という低次元の殺戮論理でしかない。

かつ重要なのは、今回の戦争はいったん始まれば、まったく予想もつかない、例えば東西バランスの悪化など、で世界最終戦争の火種になり得ることまでブッシュ大統領とその側近たち、そして全面支援を申し出ているイギリス、フランスなど西側諸国首脳らは咀嚼した上で事にあたろうとしているのかどうかである。湾岸戦争時以上に日本の積極的協力を米国側が欲していることからすれば、日本にとっても決して「よその国の戦争」ではない。まぎれもなく世界を巻き込む戦争なのである。

前回のコラムでも少し触れたが、ある疑問が日々深まる。テロ当日、ハイジャックされた4機の旅客機はワシントンに向けて大きく針路を変えた。米軍部の最新鋭レーダー網は本当にそれを捕捉できなかったのか。また、不可思議なことに、インターネット上ではテロ発生の数日前から事件を暗示するやり取りが一部のサイトで飛び交い、世界中の人がそれを眼にしていたという。にもかかわらず、世界一の情報収集力を誇るCIAはなぜ即応しなかったのか。

ましてCIAは、優秀な情報機関イスラエルのモサドとも深いつながりがある。つまりはモサド側からも「不穏な動き」に関する情報は得られたはずである。それら一連の事象に米国政府が機敏に即応していれば、今回のあまりに悲惨な「事件」は未然に防げたのではないか。世界のリーダーたる「アメリカ」。あのような「赤子の首をひねる」かのような不意打ちを受ける脆弱な体制であるはずはない。

いずれにせよ、人類は今、最大の試練に直面している。今はできぬ相談なのかも知れないが、「人類の正義」と「人類の良識」とを天秤にかけた場合、どちらが重いのか。もう一度、よく考えるべき時がきている。