デスクの独り言
                           
第17回・13年8月18日

選ばれし者、選ばれざる者

時おり、考えることがある。選ばれし者と選ばれざる者の決定的な違い、分岐点はどこにあるのだろうかと。例えばスポーツの世界は、実力だけが明確な価値規準となる。マリナーズのイチローや佐々木。彼らは確固たる実力ゆえに、今の地位を手中に収めた。いろいろな状況を左右する「運」も存在はするのだろうが、まず初めに「群を抜いた実力ありき」という点では、否定的見解をかざす人は少ないのではなかろうか。しかし、芸能の分野になると、スポーツなどの世界とはかなり性格を異にする。

私は1人の青年を憶えている。初めて会ったのは彼が27歳のとき。今は33歳のはずだ。「青年」とは呼べない年代に入った。彼は秋田県大館市に生まれた。3カ月して県南の本荘市に家族と移り住んだ。だから彼は、大館が古里とはいえ、「大館のことは何ひとつ記憶にないんですよ」と話す。高校時代にみずから演劇部をつくるなど、芝居の虫だった彼は卒業後間もなく東京で映画の主役に抜擢された。180センチの長身に、精悍なマスク。有名な女性雑誌の準グランプリにも数千人の中から選ばれた。順風満帆の人生。誰もが羨むスターの地位が待っているはずだった。

だが、予想だにせぬ出来事が人生を狂わせた。映画会社の資金不足で作品は企画倒れに。父の中古車会社が1億の負債をかかえて倒産し、その父はガン宣告を受けた。家族を見舞う不幸。「あの1本の映画が世に出ていたら、おれは今ごろ……。そうすれば、親父の借金だって」と、彼は私にたびたび話した。悔やんでも悔やみきれないが、どうすることもできぬ宿命。一命を取りとめた父は単身、東京に移り住み、借金を返すためにタクシー運転手をしている。彼自身もまた、父の借金を帳消しにして父が再び古里で家族と暮らせるようにと、昼間は鉄工所で溶接工、夜はスナック従業員、そして朝方になると新聞配達をした。あまりにも無理な生活。

私が彼に出会ったのは、ひょんなことからだった。初めて羽田空港で会ったとき、「これも縁ですよね」と彼は言った。彼をスターにしようと決意した。今思えば甘い見通しなのだが、当時は何とかしてスターにしてやりたいと思った。彼との出会いは私に東京営業所の開設を思い立たせた。彼をつれて営業所長とともに映画会社やテレビ局、大手広告代理店に売込みをかける。ちょい役としては、私と出会う以前から彼はテレビドラマや映画にたびたび出演していた。「ポスト柳葉敏郎として売り出し中です」と映画会社などに売り込む。柳葉も秋田県出身。だから、「ポスト柳葉」。相手も「ほう、ほう」と膝を乗り出す。何度も何度も彼をつれて足を運んだ。秋田出身の映画監督もいたし、宮崎駿氏のアニメの歴史的ヒットを実現させた重役にも会った、故黒澤明氏の事務所にも売り込みをかけた。

テレビや映画の制作会社に行くと、壁に募集中の役が貼りつけてある。チンピラ役、泥棒役、殺人犯役、死体役。いずれも、視聴者が気にもともない端(はした)役。藤田まことが主演の刑事ドラマシリーズ。ひったくり役だった。「仕方ないよ、君はまだ売れてないんだから。今はこんな役でも我慢しなきゃ。キャスティング担当者と話をつけてくるから」と私が言う。「社長、勘弁して下さいよ。こんな役じゃ、家族が喜ばないですよ」。彼の返事に私もむっとくるのだが、彼に大役を獲得してやれないこちらとしては、その気持ちを尊重するしかなかった。端役はいやというほどやってきている。もう卒業したい、という彼の悲痛な心の叫びも理解できぬではなかった。

彼も私も、大切なことに気づいていた。長身、二枚目は東京にはごろごろ転がっている。スタイルやマスクは、さしたる武器にはなり得ぬのである。まして、彼の顔には日々の無理が表われている。老舗プロダクションがひしめきあっている東京では、新人俳優を売るためにギャラなしで出演させるどころか、「50万円つけますから、何とかうちの○○を使って下さいよ」と売り込むのはあたり前。それが女優の卵なら、有名ディレクター、プロデューサーに"ご馳走"として差し出すのはごくごく日常の世界なのである。何度も何度も東京に足を運ぶうちに、「芸能界は半端じゃなく、恐ろしい世界だ」と痛感した。

ある日、鷹巣町出身でCMのキャスティテング事務所を構えているOさんのもとを、彼と訪ねた。「おお、よぐ来たな、まんず座れ」と、彼女は東京のど真ん中で秋田弁を放った。彼は秋田の郷愁に、ほんの束の間ひたっているようだった。こちらもCMの仕事をもらえるものと期待してしまうわけだが、仕事をくれるどころか彼女は、「だめだ、だめだ、そんな顔じゃ。もっと自分を磨かなくっちゃ。夜の仕事をしてるなら、それもやめること!」と叱りつけた。1日中働きづめなのを初対面で見抜いていた。

もっと力のあるプロダクションに移れば、あるいはスターへのチャンスをつかめるかも知れない。そう思い、彼を手放した。そんな彼から、電話があったのは1年前。「君が出演するんじゃないかと思って、テレビドラマを見るようにしているよ。今、何に出てる?」と訊ねる。「お陰さまで、深夜に都内でしか放送されていないんですけど、ローカルドラマに」と彼は返した。数カ月前から全国放送している大手通信会社の携帯電話CM。はやりの無精髭をたくわえた短髪の俳優。精悍さは失われていない。間違いなく彼である。このまま上昇気流に乗ってくれれば……。そろそろ運がめぐってきてもいいころである。がんばれT.H君。いろいろなことがあったが、私は今でも君を応援している。選ばれし者になれ、と。