デスクの独り言
                           
第15回・13年8月6日

UFOにみる民放の姿勢



鹿角市八幡平の大沼付近で写真撮影をしていたら未確認飛行物体が写っていた、とのメールが読者から届いた。UFOや超常現象の類は嫌いではないので、さっそく写真を送ってもらい、専門家に鑑定してもらった。古代遺跡でも知られる鹿角にはたびたびUFOが出現し、多くの市民が眼にしているとの話も聞いていたので、専門家はどんな見解を示すのだろうと楽しみにしていたのだが、飛んでいる虫が偶然写り込んだらしい、とのこと。ある種の期待はあっさりと裏切られてしまった。

平成5年7月。秋田県鷹巣町の国有林内で福祉施設が放牧していた綿羊32頭のうち20頭が白骨で見つかったほか、11頭が行方不明になるという奇妙な"事件"が発生した。地元の家畜保健衛生所が生存していた1頭を解剖したところ、首や尻などに小動物に噛まれた跡が見つかったものの、真相を究明するには荷が重すぎ、結局「謎」で片づけられた。面白い可能性を見出してくれるのではないかと、私は日本のUFO研究の第一人者として知られる矢追純一氏に取材を申し入れた。矢追氏は「大変興味のある事例だ」としながら、「キャトルミューティレーション」と量子論の2つの仮説を示してみせた。

キャトルミューティレーションとは、地球外生命体が何らかの目的で家畜の特定部分を除去していくという"あれ"である。そして、分子レベルで突然、物質が消滅するという量子論を矢追氏は掲げてみせた。この論理は、象などは死ぬときにひっそりと"墓場"へ向かうらしいが、その墓場は誰も見たことがない。そこで分子レベルで突然消滅してしまう可能性、つまり一般常識人ならとてもまともに受けないことを矢追氏など研究家は「仮説」として堂々と示してみせる。真実はどうあれ、期待どおり興味深かったため、私は「矢追氏の見解」として克明に記事にした。

21世紀に入った今でも、UFOや地球外生命体に関してすべての人類を納得させられるだけの"決定的証拠"は存在しない。しかし、鹿角UFO研究会の駒ヶ嶺政也代表が指摘するように、民放テレビ各局は未確認飛行物体がいかにも地球外から飛来してきたかのように印象づける演出をし、真実そのものを湾曲させている。無論、狙いは視聴率稼ぎ以外の何ものでもない。

しかし、中にはテレビで見たものを純粋に信じ込む人も多いわけで、例えば先月、ヘリコプター接触直前でUターンするUFOが某局の番組で大写しにされた。私などは「宇宙人の科学力はやっぱりすごいな」などと信じ切ってしまう。また、10数年前の娘の誕生日の夜に家の前にUFOが飛来し、屋根に移動した宇宙人をライフルで射殺した光景をビデオで収録したというのがあった。もちろんテレビでは「ついに極秘ビデオの入手に成功!!」などと煽り立てている。ここまで来るともうオーソン・ウエルズの「火星人襲来」の世界である。あの番組は、当時の模様を怯える娘や父親に語ってもらおうという趣向だった。わざわざタレントが米国に乗り込むほどの手の込みよう。「父子の怯え方からして、すごい事件に遭遇したものだな。何とも気の毒なことだ」と、やはり私などはすっかり信じ込んでしまうわけだが、駒ヶ嶺氏ら専門家はあっさりと"あり得ない"点を見抜いてしまう。

そしてまた、現代のCGI技術は宇宙船をいかにも本物らしく作り上げてしまうという。そうしたものまで、本物と誤認させる演出で民放テレビが茶の間に流してしまうものだから、「何を信じたらいいの?」という不信感にすら苛まれてしまう。「信じる信じないはそっちの勝手。倫理などどうでもいい、私らはただ視聴率を稼げればいいんだよ」と番組プロデューサーらは勝ち誇ったようにいうのであろう。

駒ヶ嶺氏はテレビや雑誌などにもたびたび登場しているのだが、話してみて意外に思えたのは、決してUFOや地球外生命体の存在を盲目的に信じているのではないということ。国内外から積極的に資料を取り寄せ、客観的に分析する。情報交換も欠かさない。その上で、「本当にそれが存在するのかどうかという以上に、私はロマンとして大切にしていたいのですよ」と語る。そう思えれば、テレビ番組でUFO肯定派と否定派が口角泡を飛ばして、互いに相手を罵倒しあう光景もきわめて幼稚で愚かに見えるというものである。

話はUFOから少しばかり反れるが、大館市に数年前完成したバイパスのトンネルとその付近で、それほど間を置かず3人が命を落とした。ある夜、代行の運転手がトンネルを通過しつついった。「ここ、出るらしいですよ。気味が悪いので、夜はわざわざ迂回する人も多いって話です」。なぜか私も、そのトンネルを夜に通ると必ず鳥肌が立つ。私自身、それほど霊感があるとは思えないので、そうした話の蓄積が先入観となって錯綜し、臆病風が鳥肌という現象となって表われるのではないかと勝手に思い込んでいるわけだが、それはどうあれ、この世には理論、理屈ではどうしても片づけられないことがあるということについては、「そんな馬鹿な」と一笑にふす人は少ないのではないか。

K大学のO教授のように「この目で見てなおかつ理論的に納得できるものでない限り絶対に信じないよ」というのも人の世だし、「絶対に存在するんだよ」と一石ぶつのもこれまた人の世なのだが、考えれば考えるほど常識では結論づけられないことは人間界とはまったく別の次元のものとして厳然と存在するように思える。死後の世界は存在するのだろうが、誰もそれを明確に証明できないのと同様に。そうした領域には、軽薄なバラエティー感覚で民放テレビに立ち入ってほしくないものである。どうしても踏み込みたいなら、真摯な姿勢でやれ、といいたい。