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「田久保劇場」と揶揄され、報道が過熱している静岡県伊東市の田久保真紀市長の学歴詐称疑惑。この"事件"は、前鹿角市長のケースに類似しており、末路が見えているにもかかわらず執拗に抗う点が興味深い。 すでに公人ではないため、前鹿角市長の指名は伏せるが、彼の場合は職員に対するパワハラ問題で市議会から不信任決議を突きつけられ、議会を解散した。パワハラと学歴詐称とでは根本的に異なるものの、議会を解散した点では同様の帰結をたどっている。 ただ、鹿角市議会は反対討論した議員が複数いたのに対し、伊東市議会は全議員が不信任賛成にまわり、賛成討論した複数の議員が「よもや議会解散などという愚かなことはすまいな」という趣旨の釘を市長に刺した。 にもかかわらず、田久保市長は議会解散に踏み切った。前鹿角市長、田久保市長ともに「市民に信を問う」を議会解散の大義としたものの、いずれも心中は別のところにあったに違いない、と察せられる。寄ってたかって自分をここまで追い込んだ議会に、一矢報いたい。筆者にはそう思えてならない。 前鹿角市長は、十分に見通していたはずだ。市議選をしてみたところで、再び不信任決議案は可決されるであろうと。田久保市長も同様である。市議選で定数20に対して同市長を支持する新人が7人以上当選するなどということは、どう転んでもあろうはずはない。結果、再び不信任決議を突きつけられる。そんなシナリオを田久保市長が見通せぬはずはない。失職し、前鹿角市長と同様、出直し市長選に再び出馬する構図。それ以外あるまい。 さる4月27日の鹿角市長選を報じた際、各報道機関は前市長が落選したとの論調で伝えたが、これに加えて当新聞社は「3位以下に圧倒的な大差をつけるなど、失職してもなお支持者が少なくないことを裏づけた」とした。 出直し鹿角市長選は前市長にさほど票が入らないのではないかと筆者は事前予想したが、新人に500票余の差を付けられたとはいえ、4,700票を超える集票は「敗戦ながらも健闘した」と結論づけられなくもない。つまり、前市長に対しては引き続き応援する市民も多く存在したことを意味する。
田久保氏が失職すると仮定した場合、伊東市の出直し市長選は前回5月と同様一騎打ちになるのか、あるいは5人立候補した鹿角市のような乱立になるのかは現時点では未知数だが、次点となった前鹿角市長ほどの支持は得られないのではないか。 前回市長選で約1,800票の大差をつけて当時の現職を打ち負かしたとはいえ、署名活動が行われるほど多くの市民が背を向けてしまった今となっては出直し市長選で勝ち目はない、と読み切った上で田久保氏はあえて事を起こした、と筆者は考える。 市議2期半ばで市長選に立候補し、意気揚々と初陣を飾った田久保氏の「みんなでまちづくりしていく姿勢を大事にしていきたい」という思いは、うそではあるまい。が、誠意をもって対処すれば乗り切れたであろう学歴詐称問題でボタンをかけ違い、抜き差しならぬところまで追い込まれている。議長らに「19.2秒見せた"卒業証書"」に端を発し、百条委員会での虚偽証言、偽造有印私文書行使の各容疑で刑事告発に至っている。同氏にとって、これら一連の流れは誤算のはずだ。 しかし、百条委員会でも不信任決議を可決した際の市議会でも田久保氏は、毅然としていたように筆者の目には映った。いずれの席も「四面楚歌」と形容し得るほど孤立していたが、動じる様子はない。とりわけ不信任決議の際は、能面のごとく無表情な面相から何ひとつ心の動きを感じ取れなかった。 実は、大館市議会でも一般質問で一部議員が石田健佑市長に対して学歴詐称疑惑をにおわせる場面があった。が、20代とは思えぬほど落ち着き払い、質問をあっさりと躱して事なきを得た。石田市長の場合、早大に合格したものの学費を納付できず入学を断念した。 大学を卒業できなかった者は、卒業していく同期生らを尻目に「自分は卒業証書をもらえなかった」と、すぐさま理解できる。留年、中退または除籍。広報に略歴を掲載する際、田久保市長は市長室に確認に来た職員に対して「ここ間違ってます。私は東洋大卒じゃないです」と伝えればよかっただけの話だ。なぜそうしなかったのか。ばれることはない、とでも踏んだのか。「私は卒業していたと思っていた」など、洒落にもならない。 よしんば、「東洋大卒」のまま広報に掲載され、その後第三者に誤りを指摘されたとしても、こじらせることなく「大変申し訳ございませんでした」と平身低頭に詫びれば、市民も議会もある程度は譲歩してくれたかも知れない。 しかし、田久保氏はそうせず、「卒業証書」まで支度してみずからを最悪の事態に陥れた。過去に政治家が学歴を詐称したケースは多々あるが、同氏ほどの追い込まれ方は珍しい。そういう意味では、誰に語らずとも「なぜあんなことをしてしまったのだろう」という後悔でいっぱいのはずだ。 また、一度口にした「辞任」を撤回しなければ、百条委員会設置はもとより不信任決議や議会解散も不要だったし、刑事告発も免れたかも知れない。翻意せずにあのまま辞任し再度市長選に臨んでいたなら、まさに「市民に信を問う」を具現化できたのである。 再び議会議員選挙をしたところで6,300万円(市が予算化)の血税が吹き飛ぶにすぎず、前回令和5年9月のように定数20に対して30人立候補したとしても「市民に信を問う」という観点では市長選に比べて格段に意義が乏しいことぐらい、田久保氏も理解できぬはずはない。 いずれにせよ、すべてみずから墓穴を掘ったわけだが、それでもなお信念がおのれを突き動かして今に至るなら、たとえ「進むも地獄」だとしても行く所まで行くしかあるまい。が、信念にあらず策を弄しているだけだとすれば、人心はなおも離れ、おのれ自身がとめどなく汚れていくことを覚悟すべきであろう。 「田久保劇場」は、出直し市長選で田久保氏が敗北しただけでは幕は下りない。警察の捜査が続き、場合によってはさらに「泣きっ面に蜂」状態が続く。 かつ、新聞、テレビはもとより、大衆週刊誌やSNSを含む種々雑多なメディアは「悪人」として報じ続け、骨の髄までしゃぶる。しゃぶられるだけしゃぶられた後、飽きっぽい世間に忘れられる。それが、騒動を引き起こした者の末路である。
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