9月1日、大館市に現職としては全国最年少の市長が誕生した。当新聞コラムは令和5年2月24日付以来1年半余にわたるご無沙汰だが、今市長選には思うところもあるため、久々に上梓してみたい。
衆院選に出馬する福原淳嗣氏(56)の市長辞職(8月31日付)に伴って執行した今市長選には前市議の石田健佑(27)=鉄砲場、前市議の日景賢悟(55)=釈迦内、社会福祉士の麓幸子(62)=比内町扇田の3氏が立候補。石田、日景両氏が事実上一騎打ちを繰り広げた結果、石田氏が日景氏に309票差の1万2,882票を得て競り勝ち、3度目挑戦の麓氏が8,669票で惨敗した。
今市長選以前の全国最年少現職市長は、昨年4月23日に投票が行われた兵庫県芦屋市長選で26歳2カ月の若さで初当選した高島崚輔氏。平成9年(1997年)2月4日生まれの27歳で、現行公職選挙法での歴代市長の中でも最年少当選者とされる。
今回大館市長選を制した石田氏も高島氏と同じく平成9年生まれながら、誕生日は高島氏より4カ月余後の6月23日なため、現職市長としては石田氏が全国最年少なほか、全国の現職首長(都道府県知事、市区町村長)でも最年少に。
27歳の若さで初陣を飾った石田氏自身も強く自覚していようが、 老婆心ながらこの場を借りて戒めておきたい。それは、形こそ市長選に勝ったことにはなれ、実際には勝利を手にしたのではなく、「あのわげものは、どごまでやれるがわがらねばって、まず試しに1期やらひでみるが」(あの若者は、どこまでやれるかわからないが、まず試しに1期やらせてみるか)との、市民の思惑が作用したにすぎない。
ゆえに、石田氏は「勝った」などと微塵も奢ることなく、山積する市の課題解決にしゃにむに取り組み、閉塞感が色濃く漂う現状の大館が少しでも住みよいまち、「住んでてよかった」と思えるまち、そして首都圏などに去っていった若者らが「再び大館で暮らしたい」と切望できるまちに変貌できるよう、我を忘れて邁進しなくてはならない。
かつて、こんなことがあった。旧田代町での話。当時の町長は新年のあいさつで職員らを前に、「町民に『してあげる』という気持ちで日々の業務にあたってほしい」と訓示した。その夜、町は田代町担当の記者らと町長との懇親の場を設けた。一介の記者がさしでがましいとは思ったが、その席で筆者は町長に対し、「町民にしてあげるという気持ちで業務にあたるよう職員らに求めましたが、その意識のありようは違うのではないですか」と切り出した。
これに対して町長は「じゃあ、どう話すべきとあなたは考えるの?」と質した。町長は町民への親切心を示す意味で「してあげる」という表現を選んだのであろうが、職員によっては「自分は町民にしてやってるんだ」という上から目線の意識を持ちかねない。
筆者は町長に言った。「『してあげる』ではなく、『させていただく』ではないですか」と。町長ははたと膝を打ち、深くうなずいた。市町村職員は「お役人」などではなく、市町村民の血税で暮らすサービスマンにすぎない。それを自覚していない大館市職員も少なくないことを、市役所に幾度となく足を運んで強く感じた。職員の意識改革。石田新市長は、その点にもためらうことなく深くメスを入れ、改革すべきである。
さて、石田氏に一票投ずるべきか否か、筆者が思い悩んだことがある。それは彼の職歴。青森県の高校を卒業してすぐ、「東京メトロ」の愛称で知られる東京地下鉄に入社し、わずか1年で辞めた。翌年、ビジネスでの若手人材育成を目的とする一般社団法人「DMMアカデミー」に職場を変え、ここもまたほんの1年で退職。
翌年、自身で「LaTie」という会社を設立し、年も越さぬうちに廃業した。そして令和元年、弟と2人でカブトムシを活用して有機廃棄物や資源不足問題、脱炭素、土壌改善に取り組む昆虫バイオスタートアップ企業「TOMUSHI」を設立。
同社は弟に託す形で存続しているが、企業がまだ確実に安定化しているとは言えない段階で地方政治に目を向け、昨年4月に大館市議会議員に初当選。本来なら、議員として数期実績を重ねた上で挑むところだが、ほとんど何も残さぬままわずか1年4カ月在職しただけで今度は市長選に挑戦。
一見、順風満帆にステップアップしてきたかのように世間の目には映る。しかし、角度を変えて見れば、「ごく短い間に職を転々としてきた」ともいえる。筆者が一票を彼に投ずるべきか否か、悩んだ点はまさにそこにあり、「任期途中で大館市政を放り出し、さしたる実績も残さぬまま知事や国会議員に目移りしかねぬ若者」という人物感が拭えない。8月まで市長だった福原氏も任期途中での国政への鞍替えだが、10年近く市政を担った実績があり、石田氏とは根本的に違う。
有権者の誰一人その点は注目してこなかっただろうし、「そんなことどうだっていいじゃない。みんなが彼を選んだんだから」と支持者の多くは反論するのかも知れないが、いずれ時がたてば市長としての真価の有無が浮き彫りになって来よう。
ともあれ今は、市民に登板機会を与えてもらったなら命をかけて「大館丸」と浮沈を共にする気概で市政に取り組んでほしい、と切望するのみである。無論、「若いから多少のミスは大目に見てもらいたい」などという甘えは許されない。
戦前から「旦那のえ(家)」と呼ばれた釈迦内地区きっての名家出身である日景氏のこと、3度挑んでも当選できない真の原因について筆者なり確信を持っている麓氏についてもそれぞれ言及したいところだが、長くなるので別の機会に譲る。
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