デスクの独り言
                           
第12回・13年7月12日

藁をもすがる思い

がん宣告を受けて余命○カ月と告げられたら、その瞬間何を思うだろうか。この世で最も不幸なのは自分だと思うかも知れない。景色は一瞬にして色を失い、これが現実ではないことを祈るだろう。うろたえることなく告知を宿命として真正面から受けとめられる者は、きわめて少ないのではないか。そして、じわじわと襲いくる死を待つ苦しみも想像を絶するものがあると思う。もし自分の命を救ってくれるものがこの世に存在するとすれば、藁をもすがる思いでそれを手に入れたいと願うに違いない。命をつなぎとめんがために。

米国の健康食品メーカーの日本人販売員が、ある錠剤を手にしながら興味深い話をした。「鹿角に住む末期がん患者が、長くてあと3ヵ月と告げられたそうです。でも、この錠剤を飲んでからは、1年以上経った今も元気で、主治医が不思議がっているほどなんです。これを飲んで生きながらえている末期がん患者は、実は世界中にたくさんいるんですよ」と。眉に唾をつけつつ、饒舌な販売員の続きに耳を傾けた。「医薬品」ではなく「健康食品」なので、「がんに効きます」とはもちろん口には出せない。しかし、その健康食品の効果は米国国立がん研究所も認め、あらゆるがんの調査研究で臨床試験を続けているという。

販売員は、大館市内の総合病院に入院している末期がん患者の家族に、その健康食品を勧めた。「薬品ではないので効くとは申し上げられないのですが、お試しになって後悔はありませんよ」と。家の大黒柱である患者にその錠剤を飲ませる決意をし、家族は主治医の了解をあおいだ。無論そこには藁をもすがも思いがある。だが、了解を得られると信じていた家族の期待はあっさりと打ち砕かれた。「われわれがきちんと抗がん剤を投与しているのに、そんな得体の知れないものに飛びつかれたら困りますよ。飲ませるんだったら、もう知りませんよ」。主治医にきつくそういわれてしまうと、微かな期待だった藁はぶっつりと音を立てて切れてしまう。

「詳細な臨床試験データを示すと、医師たちは試験結果の正確さに一応は驚いてみせるのですが、実際に患者さんにその健康食品を勧めてくれる医師はほとんどいないんです。最新医療をもってしても末期がん患者を救えないのに、健康食品ごときに効果があってたまるか、という医師特有のプライドが患者の使用を阻んでいるんですよ」と販売員は話す。同じものでも厚生労働省のお墨付きがあれば何ら疑念をいだくことなく医師らは使用するであろうし、そうでなければたとえ先進国アメリカで高い評価を得ている健康食品ですら見向きもしない。それは日本人医師の大方の傾向といえるかも知れない。このコラムを読んだ医師に「あんたに、がんの何がわかるんだ」といわれてしまえばそれまでだが、家族の願いを抑えつけてまで盲目的に抗がん剤だけを"信奉"するのはどうかと思うのである。

がんに効くといえば、「奇跡の」という形容詞が付されるほど玉川温泉水は世界的に知られている。みずからが進行がん、また家族に末期がん患者がいる人々がインターネット上で励ましあう掲示板を見つけた。その中に、「1年先まで玉川温泉は湯治客の宿泊予約でいっぱいだそうです。湯治はできないにしても、飲むととても良いということを何かで読んだことがあります。入手方法など、情報がおありの方は教えて下さい」と。全国で多くの人が飲用しているとの事前情報を得ながら、片道1時間半をついやして現地に足を運んだ。友人の叔父が末期がんで、手術後、自宅で死を待っている。家族がどれほど説いても、がんであるとは信じないらしい。しかし、刻一刻と死が迫っていることは、誰よりも本人がよく知っていると思う。酷い現実を否定したい。だから、抗がん剤であることに気づきながらそれを飲み、家族には「おれはがんじゃない」といい張る。それほどつらいその人のために、少しでも役に立てればという思いもあった。

取材を通し、温泉水を宅配などで外部販売できないことを知った。食品衛生法への抵触。にもかかわらず、「飲用」という認識で温泉水を宅配や直接玉川温泉で現地購入している人がきわめて多い事実もつかんだ。秋田県大曲保健所は事実確認をするために先月29日、玉川温泉を立ち入り検査した。しかし、企業側の話をもとに「飲用として販売している事実なし」との判断を下した。後日、玉川温泉の「飲用」をPRする記事があるスポーツ紙に大きく掲載された事実を新たにつかんだ同保健所は、再度調査をする必要性に迫られた。またしても、企業側からだけ事情を聴いて、「はい、わかりました。これからは気をつけて下さい」で片付けるのか、それとも戒めを込めて厳しい行政処分を下すのか、動向を見守りたい。

何を隠そう私も「飲用」といわれて購入し、私や家族も飲み、「これを飲めば生きる希望が湧いてくるかも知れないので飲ませてみて下さい」と前述の末期がん患者にも飲んでもらっている。がん患者をはじめすとる全国の人が「効用」に願いを託しながら飲んでいるにもかかわらず、「飲用としては販売していません」と白を切り通そうとする玉川温泉経営企業の不誠実さ、かつ利潤追求のためなら社内で口裏まで合わせようとする狡猾さ。それが許せる行為だと誰がいえるだろうか。「飲用で販売している証拠もきちんと記録してありますし、私自身も飲用といわれて購入し、末期がん患者にまで飲んでもらっているんですよ。あなたにはそれをどう説明できるんですか」と私が質すと、経営企業の専務は「ああ、そうでしたか」と、悪びれた様子もなく返した。こうなると一種の開き直りである。誰よりも玉川温泉に失望するのは信頼して飲み続けてきた全国の人々だということを、彼ら経営陣にはまったく理解できていないらしい。事が「奇跡の玉川温泉」に関することだけに、まったく間の抜けた返答をされるとこちらも虚しくなってくる。

大曲保健所の担当職員の言葉が印象に残る。「奇跡の温泉といわれる玉川温泉が、本当に効くのかどうかはわからない。しかし、奇跡の温泉といわれるものに入ったり飲んだりすることの精神的な相乗効果は、とても大きいのではないか。これは効くんだと信じることで大きな効果が生まれ、結果的に治癒に結びつくのではないだろうか」と。そうかも知れない。そうした意味では前述の健康食品も同じことがいえる。

いずれにせよ、食品衛生法、薬事法、温泉法の各現行法が緩和されない限り、藁をもすがる思いで玉川温泉水を「飲用」に欲する人の手には、もう届かないだろう。企業が許可を取ろうとしても現行法が立ちはだかり、「飲用」販売はほとんど不可能に等しい。とどのつまり、不完全な法律は藁をもすがる人々の願いを、あまりにも冷淡に断ち切ってしまうのである。