デスクの独り言

第110回・2015年11月9日

殿様商売 

 46年間愛読した新聞を、やめた。思い入れの深い新聞だったが、新聞販売店経営者の耳を疑う言動に、読者であることをやめざるを得なかった。あの一言を口にしてくれさえすれば、ボタンをかけ違うこともなかったろうと思うと、残念である。

 配達員の新聞受けへの入れ方が雑らしく、その新聞だけはたびたびよれたり、悪天候の日は他紙はすべてビニール袋に入れていたのに対し、その新聞だけはいつも"裸"のままで入れられるため、部分的に濡れたまま手にすることも少なくなかった。それらは我慢できる範疇なのだが、不配はさすがにいただけない。

 今月6日、再び新聞受けに、その新聞だけが配達されていなかった。最近では4週間ほど前にもあったし、46年という長い歳月からすれば数え切れない。午前7時半ごろ、領収書に記載された新聞販売店の電話番号を仕方なく押した。これまでは60年配らしき女性が受話器を取っていたが、70歳代とおぼしき男性の野太い声が鼓膜を打った。不配の旨を伝えると、受話器の向こうで住所を問いただした。商品たる新聞が届いていないのだから最初に詫びてから配達先を訊ねるものであろう、と直感的に思った。

 つい最近も不配があったので、きちんと配達員を指導してほしい旨を伝える。日ごろから、指導しているという。やり取りが面倒くさいのか、やや語気が荒い。一言も詫びぬことが、やはり鼻につく。指導してもたびたび配達し忘れるのかと返すと、予想だにせぬ言葉を男は返した。「人間だもの、間違ったり、忘れたりするごどはあるべや!!」。明らかに逆ギレ。これまでもたびたび配達し忘れているゆえにそうした理屈は通らないし、そもそも立場が違う。つまり、読者は顧客であり、新聞販売店は商品たる新聞を消費者に購入していただく位置にいる。聞けば、男は単なる従業員ではなく経営者だという。呆れて、二の句を詰まらせた。経営者といえば、従業員に規範を示すべき立場だ。

 例えがふさわしいかどうかは別として、料理屋の店主が最も大事な調味料を入れ忘れて味を落とし、客に指摘されたとする。「人間だから忘れることもあるべや!!」などと啖呵を切れるだろうか。捜査員が誤認逮捕したとして、「人間だもの、間違うことだってあるべや!!」などと、誤認逮捕によって名誉を傷つけられた人に言えるだろうか。時と場合、または相手によってはその"台詞"が許されることもあろうが、基本的には口にしてはならぬ言動ではないか。

 やがて、男は「ひば、どうひばいってや!」(だから、どうしろっつんだ!)に続いて"禁句"を叫んだ。「気に入らねば、やめだらいべしゃ!」。わざわざ共通語に"翻訳"するまでもないが、「気に入らないなら、新聞をやめたらいいだろう」と言っている。寅さんではないが、「それを言っちゃあお仕舞いよ」である。さすがに、「あんたは、46年取り続けた読者にそう言うのか?」と返さざるを得なかった。挙句の果てに、経営者は「うるせい客はいらねえ」に近い意味合いの"悪態"を口走った。

 「申し訳ありません。今後不配が生じないよう、さらに厳しく指導します」。冒頭で、一言そう詫びてくれさえすればよかった。ここまで来ると、どちらかが折れない限り、刃(やいば)が鞘に納まることはない。新聞をやめるつもりなどなかったのだが、引くに引けず、やめるかどうかを家族と話し合った上で、再度こちらからかけ直すと伝え、受話器を置いた。家族もその新聞に、慣れ親しんでいる。どうしてもやめたくないと言うなら、"家族の総意"として続けて配達してもらうこともあり得た。

 しかし、経営者の態度、言動をありのまま伝えると、家族も反感の気持ちの方がまさったようだった。結局、今月いっぱい配達を中止し、どうしても必要な新聞であることを痛感するようなら12月から再度取り直すことで、意見がまとまった。

 憂鬱さに抗いつつ、再び新聞販売店の番号を押す。今度は、何度か声を聞いたことがある60年配らしき女性が受話器を取った。恐らく、経営者の妻なのだろうと察しつつ、経営者の言動はどう考えても納得がいかないし、46年間の顧客に対する態度とは思えない旨とともに、今月いっぱい配達を中止してほしいと伝えた。その女性もあっけらかんとしたもので、本来なら「どうか、やめないでいただけませんか」と言うべきところを「はい、分かりました」で終わった。無論、「長い間、ありがとうございました」もない。

 1人の顧客を得るのはむずかしい。1度逃がした顧客に戻って来てもらうのは、なおむずかしい。新聞の発行部数が伸び悩む今の時代、やめた読者に再度読者になってもらうのは不可能に近い。46年間取り続けた新聞が配達されなくなって4日が過ぎた。ぽっかりと穴が開いたかのごとき感覚が続いている。だが、人は環境に順応する。さらに日を重ねるにつれて、その新聞は「なくてもいいもの」になる。

 鉱山城下町として潤っていたその昔、大館には「旦那衆」と呼ばれた羽振りのいい経営者たちがそこかしこにいた。「買ってください」と頭を下げなくても、飛ぶように物が売れた。今は左うちわで経営者がのほほんとしていられる時代ではないが、大館は昔の名残ともいえる「殿様商売」の気質が今も根強い。「売ってやる」の風土が変わることなく残っており、「客は、あんた1人じゃない」「あんたが買わなくたって、痛くも痒くもない」という態度を示す経営者、それを真似る従業員もたびたび目につく。

  当の新聞販売店主もまた己の気位やプライドだけが大切な「殿様商売」を体現する1人であり、顧客のありがたみを何ら理解していない。46年重ねた新聞の重みがいかほどのものであるか、いかなる思いで半世紀近く愛読してきたかを、推し量ることすらできない。彼のような経営者は、少なくない。