デスクの独り言
                          
第1回・13年5月28日

インターネット新聞の先駆者

読者の皆さんの励ましを得て、あきた北新聞はあと1月ほどで100号に手が届く。27日、日本で最初にインターネット新聞を創刊した秋田県南日々新聞の伊藤正雄さんに会いに出かけた。大曲市までは大館から約3時間の道のり。業界の先駆者に対して仁義を切る意味もあったし、驚異的なアクセス数の秘密を直接本人に会って確かめたくもあった。1996年12月創刊。あと半年余で満5年になる。1日のアクセス件数600から700件。延べ件数500,000件へカウントダウンに入っている。

数時間話をさせていただいて、とても奇妙な事実を知った。秋田県南日々の読者の多くは、メディアのファンという以上に、伊藤さん個人のファンなのである。彼の応援団まであり、アクセス数が100,000件を突破した時に応援者たちが田沢湖で開いたパーティーには秋田県庁の職員たちが募金までして祝い金を届けた。人間伊藤正雄氏という人物によほどの魅力がないと、そこまで応援し、温かい目で見守ってくれるとは考えにくい。

一面識もなかった私は、自分なりにイメージを作りあげ、約束の場所で彼を待っていた。長年記者をしていれば、記事の書き方で人物像にある程度の察しがつく。ほどなくシルバーのBMWが滑り込んできた。BMWで疾走する記者などかつていただろうか。銀髪、眼鏡、学者肌、細面、54歳の紳士が愛車のドアを開けた。不思議だった。初対面という気がしなかった。これだな、と思った。ガードがまったくない。そこに強烈な個性が秘められている。そう確信した。

会うなり、「すごい車に乗ってるんですね」と、思わず口をついた。いつ傾いても不思議ではない豆新聞社の記者として長年在籍しながら、会社の暗黙の了解で今までインターネット新聞を運営してきた。伊藤さんが辞めれば会社は確実につぶれる。自分が抜けたがゆえにつぶれたといわれたくはない。だから今も2足のわらじ。「本当は、秋田県南日々1本に賭けたい気持ちもあるんだよ。でも明治年代にできた新聞社だし、細々と灯してきた文化の火を絶やすわけにはいかないよ」と本音を洩らす。

夫人より安い給料。それを袋のまま夫人に渡す律儀さ。月々の小遣いは25,000円。BMWも余裕で買えたわけではない。秋田県南日々もしばらく無収入だった。普通なら話さないそんなことまで、初対面の私に開けっぴろげに語る。ずっと以前から知っていた人のような錯覚に陥る。やはり不思議な人である。

秋田県南日々には「こちら編集室」というコラムがある。「ケンニチ(秋田県南日々新聞の略称)は創刊が早かった分、とても得をしている。今立ち上げたら、こんなにアクセスしてくれるはずはない。でも、ケンニチの人気の秘密は、本当はコラムなんだよ」と、伊藤さんはいった。自分の生い立ち、恋愛、日々の暮らし、酒場での愚痴、何でも包み隠さずエッセイにする。コラムの内容で夫人の誤解を招き、閉口したこともあった。「開けっぴろげで何でも書いてしまう。そこがまたいいんだろうね。なぜか女性ファンがとても多いんだよ。メールでファンレターまで来るんだから」と照れもせず、ひょうひょうと話す。

5月25日付のコラムを読んでみた。「都忘れ」の花がテーマ。すでに故人となった父母の夫婦仲に触れている。私なら、とてもあのような書き方はできない。が、憎いほど読ませる。これでもかとばかりに、男を想う女性の詩までしたためてある。とてつもないロマンチスト。彼ほどロマンチストな記者にはついぞお目にかかったことがない。女性ファンが多い。うなずけた。強烈な魅力の持ち主なのだった。それが秋田県南日々新聞を根底から支えていることを知り、何とも恐れ入った。

http://www.kennichi.com/