デスクの独り言

第81回・2007年6月6日

マルチの罠 

 10年来の知り合いである大館市内の会社経営者が、1枚の企業パンフレット(最下段の写真)を眼前に差し出したのは、18年も押し迫ったころ。「儲け話がある」。それだけで眉につばをつけたくなるが、その経営者は「この出資は間違いない。自分も試しに10万円出資したが、毎月決まった額が口座に振り込まれている。半年で元が取れるし、1年で倍になる」と饒舌に語った。知り合いたちも勧誘し、すでに何人か出資しているという。こんなにいい儲け話はないと語り、いずれは出資額を100万円にするつもりだと彼は意気込んだ。

 とりあえず持ち帰り、見開き4ページのパンフレットを一読してみた。社名は一応いっぱしなのだが、記載している内容はアバウトどころか、これでも事業を紹介するPRパンフレットかと思いたくなるほどのお粗末さ。文面の中心となるべき見開き部分に並べたてた文字は、ほんの100文字程度だ。内容はこうである。フィリピンの有力支援者を介して同国の地主からファームを借りる。そこで地元の管理者と提携して約4カ月かけてブラックタイガー(エビ)を養殖する。成長したブラックタイガーを市場に出荷する。1年で2回転できる。それに出資して儲けないか、というものだ。まともな事業であれば「有力支援者」などという表現は使わず、氏名を明示するものである。パンフレットは一見して胡散臭く、マルチ商法の臭いがぷーんと漂っていた。

 前述の会社経営者から聞かされたその企業の代表者名を、ネットで検索したみた。何と、マルチ商法で数百億円を多くの国民から巻き上げた挙句、フィリピンに行方をくらましている人物ではないか。パンフレットを差し出した会社経営者にさっそく電話を入れ、「あなたは本当に、これがまともな企業だと思うのか」と訊ねた。「確かに1度マルチで失敗しているが、2度同じ過ちはしないだろう。今のところきちんと入金しているし、オレはこの企業を信じる」と会社経営者は言い放った。だが、カネを集めるだけ集めて雲隠れという前の手口を再び使われたら、損失をこうむった彼の知り合いは勧誘者を恨み、最悪の場合は彼に損害賠償を求めるのではないか。そう指摘すると、「それはねえべぇ」と彼は受話器の向こうで笑ってみせた。「すぐに手を引き、みんなにもやめさせた方がいい」と奨めたが、彼は「問題ない」の一点張りで、聴く耳を持たなかった。

 ブラックタイガー養殖絡みで全国から多額の出資金を集めた投資企業「ワールドオーシャンファーム」の分配金支払い中止問題で6月4日、秋田市内で説明会が開かれた。本社関係者不在の中、県内外の出資者約40人が出席したという。みずからも出資し、幾人にも声をかけて出資させた前述の会社経営者の姿も、その中にあった。唯一、ワールドオーシャンファーム側で出席したのは同社の「代理店関係者」と名乗る者だけ。先にあるのは、マルチ商法被害者の泣き寝入りだけ、という印象を強く受ける。

 なぜ人間は、マルチ商法に弱いのだろうか。だます側とだまされる側の構図。マルチ商法には、それ以外の何も存在しないのだが、多くの人間にカネを出させるには特有の心理的技術があり、それに長けた者たちだけが"罠"を仕掛けられるのであろう。だまされる側はだまされる側で、楽をして儲けたいという心理がどこかで働く。その鬩(せめ)ぎあいの結果、初めてマルチ商法が成り立つのではないだろうか。ある程度信頼の置ける人物が、間接的に組織のPRマンとなって、「これ、自分もやってるけど、とてもいいよ。あなたもやってみたら?」と気軽に勧めてその気にさせる。間接的なPRマンには悪気はないだろうが、無意識に"悪事"の片棒を担がされ、それが全国に拡大していく。小さな被害額で済む人がいる一方で、巨額の投資をして自殺に追い込まれる人もいよう。

 不思議なのは、同じ人間が以前仕掛けたのと同様の罠に、人はなぜ再びはまってしまうのか、ということ。今回の事例にしても、相手はもともと行方不明、換言すれば先のマルチ商法で善意の多くの人々に与えた損害をビタ一文返さずに逃亡した人間と知りつつ、なぜ再びだまされてしまうのか。世の中には、だまされにくい人と、たやすくだまされる人がおり、後者がマルチ商法の餌食になりがちなのではないだろうか。

 一寸先は闇。どんな罠が待ち受けているか、分かったものではない。明日は我が身、という言葉がある。至る所に仕掛けられている罠にはまらぬよう、一歩、一歩確かめながら歩んでいかなくてはならない、とつくづく思わされる"事件"である。

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