デスクの独り言
                           
第8回・2001年6月28日

神話になる男

 日本のプロ野球は観たいと思わない。面白くない。こう書き出してしまうと、3度の飯よりプロ野球観戦が好きという方には手ひどい罵声を浴びせられそうだが、事実なのだから仕方がない。友人たちと酒を酌み交わし、松井がどうの、松坂がどうの、清原がどうのという話になると、今どうなっているのかもわからないものだから、一応口をはさまずに聞いている。が、やっぱり面白くない。もちろん友人たちは知らない。私がプロ野球嫌いであることを。プロ野球嫌い。それはかなり少数派なので、私と同じような人たちは「オレはプロ野球が嫌いだ」などとはあまり口にしないだろう。異端視されかねないから。「プロ野球が嫌い? おかしいんじゃないの?」と精神を疑われかねないほど、現代は野球狂時代なのだ。

 そんなプロ野球嫌いの私ですら熱くなるのだから、マリナーズの鈴木一朗はすごい。いや、イチローといったほうがいいか。だが、メジャーリーグの場内アナウンスでは「ICHIRO SUZUKI!」と興奮気味に紹介する。走攻守どれをとってもリーグトップというのだから、日本だけではなくアメリカ中が熱狂するのもうなずける。人気投票に至っては28日現在、173万4,905票を獲得して両リーグ合わせて首位を維持している。

 野球選手と政治家では比較の物差しが違うよといわれてしまえばそれまでだが、あす29日に訪米出発する小泉首相でさえ、イチローほどアメリカで日本や日本人のイメージアップに貢献することは不可能だ。そうした意味では、イチローは単に野球選手というだけではなく、首相より格段に上の日本代表親善大使としてきわめて大きな役割を果たしていることになる。日米首脳会議に臨む小泉首相をテレビで見て日本人として鼻が高いと思う国民はどれほどいるのかいささか疑問だが、イチローの雄姿に日本人として鼻高々と感ずる人は全国にたくさんいることだろう。

 ところで、イチローや大魔人佐々木、そして故障者リスト入りしているメッツの新庄などのアップはよく映し出されるが、佐々木や新庄は喜怒哀楽をその表情から汲み取れるのに対し、イチローはほとんどクールなマスクを変化させない。ひょうひょうとした相貌で3割5分台を保ち、明らかに一塁アウトとわかっていても万に一つの可能性に賭けて全力で走り、本塁打寸前の飛球をフェンスに激突しても死守する。しかし、感情の変化を露骨に表すことはない。二枚目俳優ほど端整とはいえないまでも、ある種神秘性を帯びたマスク。アメリカ人でなくともたまらない。

 バッターボックスに立つとイチローは、必ず同じ仕草をする。ユニフォームの肩に近い右上腕部をまくりあげるポーズ。100回バッターボックスに立てば100回やる。それをアメリカのリトルリーグの子供たちが真似ているという。憧れだから真似る。大人が見てもカッコいいと思うのだから、チビっ子たちにはなおさらだろう。彼らの中から、イチローに続けとばかりにスター選手が育ってくる。メジャーリーグ=星条旗の国なのだ。野球もまた日本とは根本的な風土の違いがある。

 イチローが登場してからはますます眼を離せなくなったが、実は野茂英雄がデビューしたときも、私はメジャーリーグに視線を注いできた。あの度肝を抜くような大舞台で日本人はいかほどの力を発揮できるのか。野茂だけではなく、伊良部も吉井も鈴木も佐々木もまた、多くの波乱に翻弄されながらも日本人として誇れる闘いをしてきた。それらすべてに対し、多くの日本人が大きな関心とともに応援してきたはずだ。野球ファンという以上に、日本人として彼らを応援してきたように思える。

 なぜ私は日本のプロ野球を観ないのか。オリンピックでもわかるように日本野球は決してレベル的に劣るものではないし、川上、王、長島をはじめ数えてもきりがないほど偉大な選手たちがいて、野球史に残る数々の名勝負があった。しかし、こういっては申し訳ないが、今の日本のプロ野球には何ら魅力を感じない。というより、どうしても日本とアメリカを比較してしまうのだ。結果、アメリカの国技であるメジャーリーグの強烈なインパクトに惹きつけられ、日本野球に物足りなさ、そして本場アメリカ野球のコピー的な印象を拭いきれない。日本とは比較にならぬダイナミズムとアメリカンドリーム。マイナーリーグを含めて5,000人の選手の中から、メジャーリーグの桧舞台に立てるのはごくごく一握りという想像を絶する競争。世界中が憧れる野球の本場でイチローは100年に1度のスーパースターなのだから、当然のことながら日本人として応援しないわけにはいかない。

 ただ1つ、メジャーリーグに苦言を呈したいこと。テレビ観戦していて、選手らに「それ、どうしてもしなきゃいけないの? グラウンドはあなた方の神聖な場所でしょ?」と、余計なお節介を焼きたくなることがある。アメリカ人をはじめ外国の選手らはやたらと唾を吐く。噛み煙草を噛んでいる選手はニコチン色の汚い唾を吐くし、ベンチでは落花生の皮のようなものを頻繁に飛ばしたりもする。顔が大映しになっている10数秒間だけでも3、4回唾を吐く光景を何度も眼にした。噴水のように大量に吐く選手は唾がユニフォームにつくこともしばしばで、マナーの悪さといったらこの上ない。やたら唾だらけのベース付近でスライディングをしようものなら、おいおい、といいたくもなる。

 砂埃が口に入ってしまった時は別として、イチローが彼らのように無意味に唾を飛ばす光景はほとんど眼にしたことがない。ということは、イチローはマナーの点でもメジャーリーグで群を抜いていることになる。1億数千万人の日本人の中で、いやはや何ともすごい男がいたものだ、とつくづく感心させられてしまうのである。英雄を超え、いつか神話になる男はそういうものなのであろう。