デスクの独り言

第66回・2005年7月9日

医療現場の姿(2)

 さる4月9日付の第64回コラムで、「医療現場の姿」と題して執筆した。医療ミスや事故が相次ぐ大館市立総合病院に、今後はミスなどによって1人の命も奪わぬよう万全の体制で臨んでほしい、との願いを込めつつ、現状を痛切に批判したものである。しかるに、その後もミスや事故が明るみに出、再び処置中に尊い命が失われた。これほどミスや事故が頻出している医療機関は、県内でも恐らく他にはないだろう。こうなると、いかにレベルの低い病院であるかを示す事例をこの場で公開しなければならなくなる。それでもこの病院で治療したいと市民が思うのかどうか、それは市民個々の考え方しだいである。

 大館市立総合病院は、血液透析患者に使用できない薬を誤って投与し、さる1月17日に患者を死亡させた。この医療事故について小畑元市長は3月定例市議会で陳謝し、「再発防止策を決定した」などと釈明した。続いて、5月に手術を受けた患者の体内にガーゼを置き忘れる医療ミスが明るみに出た。発覚したのは先月25日のことだ。

 そして同病院はきょう9日、カテーテルを患者に挿入している最中に、同市内の70代の女性患者が吐血して死亡した事実を公表した。亡くなったのは8日夕方。こうした重大な事故が発生した際に病院側は、決まって「死亡と処置との因果関係は不明」とか「病院側に落ち度はない」などと責任回避じみた弁明をする。同病院も「不明」とした。これから先、遺族を待ち受けるのは想像を絶する苦しみと同病院に対する計り知れない疑心暗鬼の念である。

 今回のケースについて武内俊院長は、チューブを挿入する際に血管を傷つけた可能性があることを否定しない一方で、治療手法は適切に行われたなどとするまったく矛盾する弁を吐いた。胸部処置中にもし誤って血管を傷つけたとすれば、単なる「事故」ではなく医療技術の拙さから「ミス」をおかしたことになる。血管を傷つけた可能性をあえて口にするなら、院長は治療手法の正当性うんぬんを力説すべきではない。

 そのようなことを口にするものだから逃げ口上のようにしか聞こえないし、否応なく不誠実な印象を与える。その点を院長を筆頭とする病院側は、まったく理解できていない。そもそも、今年だけでもこれほど医療ミス、事故が続発しているのに、なぜ市長は院長や担当者の厳重な懲戒措置に踏み切らないのか。遺族や市民に陳謝すればそれでよし、とする意識が見え隠れしてならない。また、市長や院長はこれまで、悲しみに打ちひしがれる遺族の家を訪ねて、直接詫びを入れたことはあったのか。それが人間の基本的道理というものである。そのようなことすらしてきていないとすれば、組織の長どころか人間として失格だ。

 きょう公表した事例については司法解剖によって真相を究明することになったが、遺族にとってはそれが純然たる病院側のミスによるものか、あるいは別の原因なのかが、今後の対応にきわめて大きな影響を与えるであろう。また、市民の立場からすれば、今回のケースがミスに起因するのかどうかということとともに、なぜ同病院だけがこれほど頻繁にこうした事例が発生するのか、が最大関心事のひとつになるのではないか。つまり、「これから先、本当に市立総合病院を信用できるのか」という問題が絡んでくるのである。

 さて、冒頭で触れたとおり、同病院のレベルの低さを露呈した一例を挙げてみよう。あるジャンルでは、日本の第一人者といわれるほどの人が大館市に住んでいる。たびたび全国版のテレビや新聞、雑誌にも登場し、最近では民放が1時間のドキュメント番組を放送し、全国に感動を与えた。その人が、2カ月ほど前に打ち明けてくれたことである。

 「もう何年前になるだろうか。市立病院の誤診で、危うくみずからの命を絶つところだった」と、物静かにその人は言った。当時、夕方近くなると背中のあたりに激痛が走り、七転八倒するほどの苦しみに苛まれていた。藁をもつかむ思いで、同病院に駆け込んだ。担当科についての記載は避けるが、白血病に冒され、余命はいくばくもない、と診察にあたった医師は告げたという。

 死の宣告を受けた者の多くは、混乱し、絶望とともに世をはかなむ。医師の言葉にその人は、生きる希望を失い、自殺することだけが脳裏を駆け巡るようになったという。どうせ死ぬのだから、たらふくうまい物を喰って、浴びるだけ酒を飲んでから死のう。心にそう決め、鹿角市内のある旅館で3日3晩、喰い、飲み続けた。何を喉に押し込んでも美味いはずはなく、酔えるはずもなかった。

 3日目、それはどしゃ降りの夜だった。宿の近くに川が流れている。濁流の中に飛び込もうと、外に出た。雨に打たれつつ、一人の男の顔が浮かんだ。弘前大附属病院の医師で教授。その教授は、ある世界の権威とも言えるその人とは懇意である。その人は旅館に戻り、教授に電話を入れた。死ぬ前に、ふと声を聞きたくなった。「これから死ぬところだよ」。その人は、力なく受話器の向こうに告げた。ただならぬ雰囲気を感じ取った教授は、仔細についてその人に説明を求め、事情を飲み込むと、「私が直接診る。死ぬんだったら、私が診てからでも遅くはなかろう。あす、来てくれないか」と宥めた。ある世界でのその人の偉大さを教授は知り尽くしており、その世界を通じていわば友人の間柄である。

 翌日、その人は重い足取りで弘大病院に向かった。一室に通されると、待ち受けていたのは10数人の若手医師を従えた教授だった。医師らが固唾を飲んで見守る中、その人は教授に促されて診察台の上にうつ伏せになった。さほどの長い時を要せず、教授は言った。「白血病なんかじゃない。脊髄に悪いものが溜まって、背中に激痛を走らせているんだよ。今、楽にしてあげよう」。教授はそう告げ、脊髄の一角に注射らしきものを刺した。すうっと、何かが抜けていくような気がした、とその人は当時を語る。「これで大丈夫だ」。教授の自信にあふれた声。その人の心に、生きる喜びが再び甦った。

 教授は激怒した。「誰だ! 白血病などと誤診した医師は!」。その人が大館市立総合病院の担当医の名を告げるなり、教授は即座に受話器を握り、担当医に怒号を浴びせるや、すぐにカルテを持って飛んでくるよう命じた。再び、教授は激怒した。担当医は、満足にカルテさえも仕上げていなかった。

 「あの時、教授に電話を入れようという考えが思い浮かばなかったら、間違いなく川に飛び込んでいた」と、その人は振り返る。重要文化財にもなりそうな築70数年の屋敷に夫人と2人住まい。日曜日ともなると決まって子や孫たちが訪れ、にぎやかになる。ある世界の著名人だけに、客足も絶えない。いくつかの団体で重責を担うなど、「体がいくつあっても足りない」ほど多忙な日々を送っている。眼の輝きや動作は、70代後半とは思えぬ若さである。死に直面し、生きる喜びを誰よりも知る人。だが、あの悪夢だけは忘れることはない。「長生きしたいから、市立病院にだけは行きたくないんだよ」。その人がぽつりと言ったその言葉の重さと意味するものこそ、同病院の医師をはじめ全職員が肝に銘じなくてはならぬことなのである。

第64回コラム