デスクの独り言

第65回・2005年4月18日

北秋田市長の人柄

 北秋田市の初代市長が17日、決まった。先月の合併前まで鷹巣町長を務めていた岸部陞氏(68)が、元同町町議の小塚光子氏(58)に8,000票余の大差をつけて圧勝。ほぼ予想どおりの結果だ。小塚氏が市長の器ではないのではなく、岸部氏があまりに強力だということである。岸部氏と対等に戦えるか、あるいはそれ以上の相手は、現在の北秋田市には1人しかいまい。彼が立つなら立候補を躊躇せざるを得ないと、岸部氏が考えるであろうほどの人物だが、その人も岸部氏を応援することで追い風となったのではないか。

 なぜ岸部氏は、圧勝できたのか。町長時代の実績や公約、政策への有権者の支持、組織力もさることながら、最も大きな鍵を握るのは人柄ではないか。人柄が悪ければ、そもそも誰も応援してくれないし、磐石な組織も構築できない。何より、有権者が貴重な1票を投じてくれない。勝利した岸部氏を持ち上げるわけではないが、岸部氏には最も大きな財産ともいえる、人柄の良さが備わっているように思える。

 岸部氏の人柄を垣間見せる一端を紹介してみよう。今から6、7年ほど前であろうか。当時北秋中央病院院長だった岸部氏に電話を入れた。無論、取材活動を通じて顔見知りである。数日来の胃痛を伝えると、私が直接診断するからすぐに来れるか、と岸部氏。大館から車で(旧)鷹巣町の病院に向かった。問診に続いてエコーをかけたり、CTスキャンをしたり、とすべて岸部氏立会いで行われたのだが、院長先生直々の立会いでものものしい検査をするとなると、あるいはという不安が脳裏を掠めた。

 が、杞憂を払拭するかのように、「特に異常は見つからないが、明日、胃カメラをのみに来れる?」と岸部氏は訊いた。翌日、再び病院を訪れると、5分と待たされることなく、胃カメラの検査室へ職員に案内されると、専門医が待機していた。さすがに2日目は、多忙の院長先生が直々というわけにはいくまいと思いながら、台の上に横たわると、ふっと検査室のドアが開き、岸部氏が現れた。「私が直接、診るよ」と同氏はいった。

 院長がざさわざ胃カメラをなさるんですか、とでもいいたげな顔で、専門医が岸部氏に一瞥をくれたのを今でもはっきりと憶えている。「ここは何ともない、ここも大丈夫だ、きれいなものだ」といいつつ、岸部氏の手による胃カメラは奥まで入り込んでいったが、ゲエゲエいいながらも、妙な安心感があった。検査の最中、この人は患者1人ひとりを大切にしている、と思えたのである。結局、「冷たいビールは少し控えて、晩酌を熱燗にしてみたら?」とのアドバイスで、岸部氏による2日がかりの検査は終わった。

 また、こんなこともあった。前腕の一部の長い間消えずにいるイボについて電話で相談をしてみると、「いつでも来て、すぐに診てあげるから」と岸部氏。「何年も消えないので、ガン化しないかと心配で」というと、誰もいない別室で岸部氏による触診が始まり、「大丈夫だ。これは問題ない。つまんでみて、根っこがつながっていなければガンにはならないよ」と安心させた。そして、おもむろに片方の靴下を脱ぎ、「イボだったら、私にはもっと大きいのがある。海に行ってウニを踏んだ痕だ」と笑ってみせた。

 なぜこのような例を紹介したかというと、岸部氏は人を安心させてくれる何かを持っていると感じたからである。医師としてだけではなく、安心させてくれる何かを持っていることは政治家にとっても、きわめて重要な要素である。15年の鷹巣町長選では、岸部氏が当時の現職の4選を阻止して3,100票余の大差で快勝した。町民の「岸部さんなら安心だ」という声を少なからず聞いた。

 市となった今も、「岸部さんなら安心だ」と思う有権者が数多く存在するのが、圧勝につながったのではないか。見せかけではなく、心底人に安心感を与える。それは、心底人柄が良くなくてはあり得ない。表面だけは安心感を与えたように見せ、実は単なる策士という政治家が地方、国政問わずあまりにも多い中で、岸部氏には偉ぶらずにどんな市民の悩みも親身になって聞いてくれる、安心できる市長になってほしいと思う。

 国立大学大学院を出て総合病院の院長、町長、そして市長当選。まさに順風満帆の人生を歩んでいるように、傍目には見える。誰にも真似できぬエリートらしい生き方と映るが、ある時ふと、「岸部さんにも普通の家庭と同様、克服しなければならぬ問題があるのだなあ」と、つくづく思わされたことがある。当時はまだ首長になっていなかったが、3人のお子さんのうちの1人が不登校で、中学校ではなく不登校を克服するための大館市の「学級」に通っていた。

 退職教諭らが指導にあたり、授業や活動をとおして学校に復帰できるよう手助けする。ある取材の折に、岸部氏のお子さんと対面し、「いずれは外国で学びたい」と話していたのが印象的だった。そのお子さんは、不登校を克服し、みずからの夢をも実現させて米国に留学している。とても強い意志を持ったお子さんのように見えたし、実際にそうだったから不登校を克服し、夢を果たしたのであろう。

 それでも当時は不登校の子を持つ親としての、岸部氏の苦悩は並大抵のものではなかったはずである。そうした苦悩をかかえながらも、人には安心を与えるよう努める。その姿に「人間・岸部氏」を垣間見たような気がした。幾多の苦難を乗り越えて今の位置に到達したであろう岸部氏が、これから先、市長として1人でも多くの市民を安心させることを願ってやまない。