デスクの独り言

第63回・2005年1月14日

大館能代空港

 「大館能代空港上空はただ今、雪のため視界が悪く、着陸に必要な最低条件に達しておりませんので、このまま秋田空港上空にて天候の回復を待ちます」。1月13日午後4時15分の定刻を数分遅れて羽田を発ったANA789便の機長がそうアナウンスしたのは、大館能代空港の到着時間まで30分ほど残したころだった。成田空港内のホテルで外国企業の管理職らと取引の契約書を交わすためのビジネスツアーだったが、いつも使う青森空港をやめ、初めて大館能代空港を利用した。

 だが、それにはいささかの不安があった。青森から羽田に向かうJAL便は、空港が青森市という土地柄乗客が多いため、便そのものも300人前後は乗れそうな大型である。一方、大館能代空港は126人乗り(午後便は168人乗り)の小型便を運航している。便が大きければ大きいほど、大雪でも比較的容易に離着陸する。大館能代空港のように最小クラスを使っている空港は、航空機が小さい分、大雪に伴う離着陸に大きな不安が生ずる。

 今回のビジネスは、こちらが大雪などで落ち合う先の成田に到着できなければ、契約書に調印する次の機会がなかなか訪れないという性格のものだった。このような場合、常識的には冬場に"頼りない"大館能代空港など使用せず、青森空港を使う。しかし、設置実現に向けた運動開始時から報道人の眼で同空港を見つめてきた経緯もあり、一乗客として何とか利用してやりたいという気持ちが以前からあった。そうしたことから今回、青森空港JALをやめ、あえて大館能代空港ANAの航空券を往復、購入した。

 12日午前9時5分発の788便、羽田行きの手続きをする際、搭乗カウンターの女性職員はいった。「羽田から向かっている便が雪で当空港に着陸できない場合は、秋田空港に着陸しますので、ご了承ください」。条件付運航。憂鬱な気分と後悔が一瞬、総身を走った。「どうやって、秋田空港まで行けばいいんです?」そう訊ねると、職員は「JR鷹ノ巣駅までバスでお送りしますので、そこから秋田駅に向かっていただき、バスで秋田空港までお送りします」。職員のその言に、後悔の度が増した。

 青森空港にすべきだった。大館能代空港はもう使うまい。そう決めてから数分後、ほぼ定刻どおり、着陸することになった旨のアナウンスが流れた。乗客がまだ誰もいないデッキで、数台の除雪車がめまぐるしく動いている白一色の滑走路を見るともなしに見ていると、唐突に航空機が滑走路の雪やぶに突っ込んできた。いや、そう見えただけだ。航空機は無事に着陸したのだが、その際に跳ね上げた大量の雪煙に、航空機が雪やぶに突っ込んだように見えたのだった。妙に感動した。これまで乗ったことのないとても小さな旅客機が、ここ北国の雪やぶにどすんと舞い降りた。それは、鮮烈な印象で、大型航空機がごろごろ並ぶ青森空港では目にしたことのない光景だった。「降りてくれたか」。思わず、そう口をついた。

 ほどなく航空機の座席に着き、周囲を見回すと、知る者は誰もいなかった。ローカル空港なので友人、知人に会うのではないかなどと半ば期待したが、誰もいない。それどころか、席は4割程度しか埋まっておらず、これで利益が出るのだろうかと余計な心配をしたくなるほどだった。東京便を今の1日2往復から3往復にするよう、同空港利用促進協議会がANAなどに働きかけているはずだったが、これではANAが腰を上げるはずはないと確信した。せめて70%程度の搭乗率を確保できないことには、ANAがその気になるとは思えない。まして、大阪便(1日1往復)をあわせた同空港の昨年1年間の平均搭乗率は採算ラインの60%にも達しない57.2%だ。「県北住民の悲願」とまでいわれたあの運動の盛り上がりは何だったのだろう、と思いたくなるほどの実績。情けなさを感ぜずにはいられなかった。

 外国人顧客との商談を成田空港内のホテルで済ませ、いくばくかの時間で彼らを東京案内した。あとは午後4時15分発の789便に乗り込んで帰途につくだけだった。搭乗手続きをする際、冗談交じりにカウンターの職員に訊ねた。「大館能代へは"無事"に着きますか?」。彼女は頬に笑顔を貼りつけ、「現在の天気は曇りとのことです。今のところ条件も付いておりませんので、予定どおり到着すると思われます」と応えた。

 昨年12月1日にオープンしたばかりの第2ターミナルビルから789便に向かうシャトルバスの中で、すぐ後ろにいた子供づれの若夫婦の会話が耳に届いた。ずらりと並ぶ500数十人級のジャンボジェットに「おっきいねえ。あれに乗りたいねえ」と母親が幼子にいった。巨大な航空機を尻目にバスが進む。「どれに乗るのかなあ」と相変わらず航空機の群れを眺めつつ、父親がいった。やがてバスは、立ち並ぶ航空機の中で最も小さく、最も貧弱な"風采"の航空機の脇に停車しようとした。「あれに乗るの?」落胆でもしたかのような口で母親はいった。「ちっちぇー」。父親が放ったその言葉には、実感があふれていた。これ、本当に飛ぶの? という意味のような。

 何事もなく、大館能代に着いてくれればいい。"願い"はそれだけだった。雲ひとつない、真っ青な羽田上空。北の地には、前日来の雪がどっさり積もっているのであろう。客室乗務員に手渡されたコンソメスープを飲み干してうつらうつらしていると、唐突に機長のアナウンスが流れた。「大館能代空港上空はただ今、雪のため視界が悪く、着陸に必要な最低条件に達しておりませんので、このまま秋田空港上空にて天候の回復を待ちます」。一気に睡魔が去った。

 定刻どおりなら、午後5時25分に大館能代空港に着く。「18時までは飛べる燃料を積んでおります」と、機長は付け加えた。耳を疑った。あと35分程度の燃料で、秋田空港も悪天候で降りられないなら、どこへ降りるつもりなのか。約70分かかる羽田へは引き返せない。秋田空港も降りられないとすると、雪のない最寄り空港ということになるのであろうか。いや、午後6時まで秋田空港上空を旋回する燃料を有し、着陸が無理なら羽田へ戻るだけの燃料を温存している、と解釈した方が妥当だったかも知れない。むしろそれが当然だ。

 機長のアナウンスを聴きながら、1度だけ経験したある出来事を思い出した。羽田から青森へ向かう便。「最低500メートル先視界を確保できないと着陸できませんので、このまま青森上空を旋回して天候回復を待ちます」。青森空港へ着陸しようとする便の機長は、そうアナウンスし、青森空港上空を約1時間旋回した後、やがて意を決したかのごとく猛吹雪の中を着陸した。操縦士の技術が、さながら職人技のように思えた。空港を一歩出ると、猛烈な吹雪で前は見えず、青森から大館へ向かう車は視界が遮られ、何度か立ち往生をしなくてはならなかった。この雪の中を着陸した。彼らは多くの人命を預かっている。管制官と綿密に協議しながら、安全を確保する確信がないと着陸などできようはずがない。それにしても、神業だ。心底そう思った。

 大館能代空港へ向かう便は、秋田空港上空を15分ほども旋回したであろうか。秋田への着陸はやむを得ないとして、羽田へは逆戻りしないでほしい。そう願いつつ窓外の闇を見つめていると、客席乗務員のアナウンスが流れた。「当機はこれから、大館能代空港への着陸体制に入ります」。穏やかすぎる雲上から、機体は雲の中へと身を静めていった。縦に降る雪が強烈な勢いで、真横に機体をたたきつけた。主翼付近のライトが、はっきりとそれを照らし出していた。機体の揺れは著しい。

 ふと辺りを見回すと、何事もないかのように新聞や雑誌に視線を投じている者、イヤホンを耳にさして眼を閉じている者、強張り気味の表情で機体を刺す雪を凝視している者。人それぞれだが、機体が分解でもしそうな揺れには誰もが少なからず恐怖を感じたはずである。やがて雪はわずかな時間降り止み、眼下に街や車の明かりが見えた。間髪を入れず、着陸体制に入った。降り積もった雪で心もとない滑走路への入射角を長年の経験と勘で決める操縦士。台風の季節ならためらいなく運休ということにもなろうが、突然大雪や吹雪に見舞われる今の季節が彼らにとっては最もむずかしいはずである。

 やがて、789便は雪やぶに突っ込む勢いで着陸し、おびただしい雪煙を舞い上げながら静かに停まった。定刻を20数分遅れている。搭乗デッキでは、折り返し羽田へ向かうこの機に乗る乗客らが「到着してくれた」という面持ちで、幾人も見守っていた。雪国のとても小さな空港で、このような光景が日々繰り広げられているのだろう。往路復路とも悩まされた空港だが、無事に着陸してみて思った。もう1度だけ乗ってやろう、と。2度目もまた、そう思うのかも知れない。もう1度だけ乗ってやろう、と。