デスクの独り言
                          
第36回・2002年6月9日

愚挙、外形標準課税

 具体性を欠く「構造改革」を総理生命の根幹に据えてきた小泉氏だが、今度は企業潰しともいえる破天荒な経済運営方針を打ち出した。外形標準課税の導入。全国では今、約7割の企業が法人事業税(都道府県民税)を納めたくとも納められない赤字経営にあえいでいる。意図的に赤字操作をしている小ずるい一部の企業は別として、大半は深刻な不況を背景に利益を出せないがために税金を納められぬのである。しかるに小泉氏が打ち出した外形標準課税は「ないものはないなりに、借金してでも税金を払え」といっているようなものだ。当然のことながら、小泉氏がこの方針を明示した今月7日以降、全国の企業、商工会、経済団体では轟々たる非難、批判が渦巻いている。

 「小泉氏の首相生命は終わった」とすら囁かれる中、どこまで同氏は国民、労働者、中小企業の首を絞めれば気が済むのか。就任以来国民の期待や人気だけに支えられてきたようなものだが、「構造改革」は失速状態にあり、国民の期待や人気すら失墜している。今年1月から3月までのGDP(国内総生産)が4期ぶりにプラスに転じ、景気は底入れしている感はあるものの、それは政府のテコ入れというよりは、全国の企業が死に物狂いの努力をしているからである。むしろ、4月時点では家族の大黒柱、世帯主の失業者数が過去最高の108万人にのぼっていることからもわかるように、構造改革が実効を伴った働きをしているとは到底考えられない。そうなると、いずれ近い将来、「小泉氏は首相の器ではない」ことに国民の圧倒的多数が気づく日が来る。

 外形標準課税は、事業の活動規模や所得以外の従業員数などを基準にしながら、企業に課税しようという考え方。黒字であろうが赤字であろうがまったく関係なく、企業もさまざまな公的サービスを受けているのだから行政経費を負担しろ、という理屈だ。総務省は来年度からの導入を期待しているという。黒字を出している「優良企業」の税負担は軽減され、その分、赤字で青息吐息の全国約7割の企業は首を絞められることになる。新方式が個人事業者にまで拡大されていないのはせめてもの幸いかも知れないが、小泉氏は今回、外形標準課税の導入とともに配偶者特別控除をはじめ各種の控除を縮小、簡素化する意向を示しており、施行されれば企業だけではなく国民全体に与える影響はことのほか大きい。

 小泉氏が経済立て直しの苦肉の策として打ち出した外形標準課税が、たとえ「広く、薄く」税金を取るというスタンスであったにせよ、赤字でグーの音も出ず多くの「あす倒産しても不思議ではない」企業から容赦なく税金をむしり取ろうという姿勢は否めない。それは、自分に火の粉がかからぬ政治屋の発想、以外の何ものでもない。

 確かに黒字を出している企業からは「なぜわれわれからだけ税金を取るのか。これでは不公平ではないか」との声は根強い。儲かっている企業からたくさん取ればいいではないか、との理屈はいささか無理はあるが、といって、納めたくとも納められない企業の金庫から雀の涙の現金まで分捕っていくという政治姿勢はどんなものか。それは倒産を加速させ、GDPを再びマイナスに押しやり、失業者のさらなる増加にもつながりかねない。倒産を何とかしのいだとしても、従業員の賃金用に寄せていたカネまで税金に充当しなくてはならなくなるため、ベアにも影響するだろうし、ボーナスの大幅削減やカット、リストラ断行という事態も懸念される。「親方日の丸」の公務員なら、そうした事態はまったく気にする必要もなかろうが、いつもあすのことを心配しなくてはならない、それが全国の赤字企業の真の姿なのである。外形標準課税の導入はそうした事情をまったく理解していない愚挙、と断じざるを得ない。

 何より問題なのは、自民党や与党内ですら合意形成を経ずに見切り発車するケースが、小泉氏にはたびたび見られることである。一例をあげれば、昨年夏と今春の靖国神社参拝。その是非は脇に置くとして、小泉氏が「おれは国家元首だ。文句があるか」といわんばかりに、半ば独断でそうした行動を取り、「近くて遠い国」である中国や韓国に再び強い不快感、不信感をいだかせ、外相を含む政府関係者らがその尻拭いに奔走したのは記憶に新しい。

 外形標準課税導入もまた、仮に一部の「政府首脳」らで揉んだにせよ、事実上小泉氏の独断であろうことに疑いの余地はない。その証として平沼経済産業相は8日、「検討は必要だが、中小企業への配慮が必要」との見解を示し、小泉氏の考えに賛成する姿勢は微塵もうかがわせてない。また、経済産業省内ですら「赤字企業への課税は中小企業に与える影響が大きい」と反対している。仮に、経済産業相や経済産業省を小泉氏が「総理のおれが命令しているのだから、文句をいわずにやれ」と合意形成を経ずに力で押さえつけようとしても、田中前外相の例ではないが、政府の尖兵である同省職員らが離反しかねない。そうなると、いくら総理とはいえ、いずれ綻びが広がり四面楚歌に追いやられよう。

 「国民の痛みを伴う構造改革」は、痛みを伴うどころか国民を失神させつつある。「自民党が小泉政権を潰すか、小泉政権が自民党を潰すか」などと、与太話をいっているときではない。政治家のための政治ではなく、国民の側に立った政治に心血を注がないと、高支持率を得た小泉氏も退く時には「最低の総理だった」とのレッテルを貼られかねない。

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