デスクの独り言
                           
第23回・13年11月11日

運命と社会的生命

順風満帆な人生は誰しもが望むことである。順風満帆に生き、「いい人生だった」と満足して生涯の幕を閉じられればこれほどすばらしいことはないのだが、そうはいかないのが人の世の常ではないか。大過なく半生を過ごしてきた人間が、一瞬にして社会的生命を失うことがある。その最たる例ともいえる"事件"が起きた。

秋田県北秋田郡阿仁町の農林課長(54)。先月26日午前のことだった。町外の親戚に野菜を送ってやりたいと考えた彼は、町内の農産物無人直売所で1本100円のダイコンを5本"購入"。所持金はあいにく300円しかなかった。過ちはそのまま5本を持ち帰ったこと。が、くすねたわけではないらしく、昼ごろ不足分の200円を持って直売所に戻ってきた。

運がよければ、備え付けの箱に200円を入れてその場を去れたろう。しかし、運は味方をしなかった。たまたま居合わせた直売所の開設者に、金を払わずに持っていったのかと咎められ、返答できずに再びその場を立ち去った。夕方、再度直売所を訪れて200円を入れた後、開設者宅を訪ねたものの、不在のため詫びることができなかった。ここまでの経緯をみると、彼にとってすべてが裏目だったことがわかる。事がそれで決着していれば、あるいは土壷に嵌まることはなかったかも知れない。

日を重ねるにつれ、役場職員が野菜を持ち逃げした、との噂が町内に広まっていった。精神が限界を迎えたのであろう。今月2日、彼は浜田章町長に辞表を出した。ふだんはまじめな職員。遺留され、結局、10日付で40日の停職処分となった。氏名は伏せられたものの、事の顛末を複数の新聞がそろって11日付に書きたてた。

いつも思うことがある。メディアは恐ろしいと。例えば、この農林課長。ダイコンを盗もうという悪意は感じられないので「魔が差した」ともいえない。直売所開設者に何度でも出向いて誠意を見せなかったことに対しては批判のそしりは免れないが、やはり、結果的には何かの歯車が狂い、彼にとってすべてが裏目に出たとしか思えない。

ここで、人生の表裏の分岐点になってしまうのが新聞などメディアに取り上げられたか否か。記者個々にもよるが、運が悪かった彼には同情の一欠けらももつことなく、たいていの記者は"無機質"に記事にする。だが、記事にされた側はそれによって社会的生命に、半ば強制的に終止符を打たされる。40日の停職を終え、職場に復帰しても彼はこれからの人生、「ダイコンを黙って持ち去った男」として庁内はもとより隣近所、町内で後ろ指を指され、家族にも似たような視線が浴びせられよう。いわば犯罪者に匹敵するほどの"扱い"。

いろいろなメディアを見聞し、また自ら取材し、何でもかんでも記事にしていいのか、と自戒を含めて痛感する。かれこれ10年になろうか。地方紙の記者だった時代、各社が一目を置く実力紙の記者と一献かたむける機会があった。「私はそろそろ記者を辞めようかなと思うんですよ。でも、その前に私のペンで1人ぐらい殺したいもんです」と、平然とその記者はいってのけた。彼は今も現役なばかりか、後輩たちを指導する立場にある。

実際、メディアが徒党を組めば、一国の首相の首を挿げ替えることなどわけはないし、人を死に追いやることも可能である。だからこそ、記者は、いやむしろ各報道機関は取材、出稿には無機質であるべきではなく、これを記事にしてしまったらその人間はどうなるのか、本当に記事にしていいのか、と真摯に考える人間性がなければ、記者になどなるべきではない。まして、前述の「私のペンで1人ぐらい殺したいもんです」に至っては記者失格ではない。人間失格なのである。そうした者に社会的生命もしくは間接的に実の生命を奪われた者は、死んでも浮かばれまい。

話は逸れるが、先日、ある人物に偶然会った。飲酒運転絡みで某市役所の課長補佐時代に逮捕され、職場を解雇された。それが「不当解雇」であるとして、自ら暴露本の記者となり、かつての職場と"闘争"。何事もなかったら、今は課長、そして最後は部長として勇退する。それが彼の人生の設計図のはずだった。その暴露雑誌は廃刊したらしいが、初めて会話をする中で、彼が市役所時代を懐かしそうなまなざしで語るのにささやかな驚きを覚えた。心底職場を恨んでいたのではないように思えた。

ほんの一瞬で人の運命は悲劇的に変わる。運転免許証を取り上げられた彼の代わりに、妻がハンドルを握っていた。今でも夫が市役所職員だったら、世間に胸を張れたろう。そうではないがゆえに、妻の横顔は弱々しく見えた。社会的生命の失墜は家族にも深い傷を負わせる。市役所職員として市民への奉仕で半生を全うしたかった夫は暴露本記者にまでなり下がり、一度や二度ではなくペンで人をどん底に追いやった。彼が好むと好まざるとにかかわらず。運命の惨さを、あらためて感ぜざるを得ない。