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デスクの独り言

第123回・令和元年6月13日
 
既得権益
 
 昭和57年(1982年)6月の開館以来、大館市民文化会館は「文化の殿堂」として約37年間にわたって市民に親しまれてきた。しばらく市の直轄施設だったが、現在は一般財団法人が運営し、地元企業に命名権「ネーミングライツ」を付与している。筆者が別新聞社に所属していたころ、10年ほどこの施設を担当し、著名アーチストのコンサートや演劇公演などでは施設側の計らいでたびたび有名歌手や俳優にインタビューした。当時は、市民への対応もよかった、と記憶している。

 「文化会館の職員は、こんなに変わってしまったのか」と思わざるを得ない事例を、今コラムで取り上げてみたい。このままうやむやにしようかとも考えたが、同事例に対する質問を館長に投げかけてみたところ一向に答える気配がないため、一職員の問題ではなく館長をはじめ全職員に絡む問題との結論から、読者の皆さんに紹介することにした。

 7月15日に中ホールで会館主催事業に位置づけた「特選落語会」が開かれるにあたり、一律2,000円、全席自由のチケットを今月9日午前10時に会館窓口で発売開始した。同会館友の会会員のある市民は、同会館の主催事業はもとより年間いくつものステージを観賞している。同会館のステージイベントを開館以来一貫して愛好しているのに加え、観客の一人になることで市の文化発展に少しでも貢献したいという思いがあった。同会館にすれば、いつも贔屓にしてくれる「お得意さん」である。

 今回も満を持して6月9日午前10時の発売開始に合わせて、文化会館窓口に出かけた。女子職員が一人、日曜の宿直として詰めていた。購入希望者が窓口に並んでいるものと予想したが、誰一人いなかった。チケットを購入したい旨を伝えると、女子職員は主催事業のチケット発売日であることすら認識していなかったばかりか、肝心のチケットがどこに置いてあるのかすら知らなかった。

 判らなければ上司のケータイに一報入れるなりして確認すべきところだが、面倒臭いのかそれすらせず、市民を10分近く待たせて探し続けた挙句、結局見つからなかった。市民は、不要に待たされることに苛立ちを禁じ得なかった。そうした気持ちなど眼中にないのか、不快そうな態度で女子職員は一枚の紙を市民に突き出し、名前と電話番号を書くよう求めた。そして、連絡するから出直して来い、と。

 普通ならあり得ないそうした女子職員の態度に対し、寛大でない購入希望者なら「さんざん待たされた挙句、上司や同僚に置き場所を確認するでもなく、名前と電話番号を書いて出直して来いとは何事だ。明日、お前がウチに持って来い!」ということにもなろう。しかし、不快感を募らせつつ、市民はそれが従った。

 翌日、当の女子職員からの連絡はなかった。ぜひとも観賞したい落語公演で、大ホールの約3分の1の400席しかないことからすれば早めに売り切れる可能性があると考え、前日の無駄足を不快に思いつつも、市民は再び窓口に出向いた。応対したのは、例の女子職員だった。本来なら、「昨日はご迷惑をおかけしました。電話連絡をする前においでいただき、恐れ入ります」と丁重に詫びねばならぬところである。

 あに図らんや女子職員は、前日のことなど何もなかったかのごとく、しれっとした態度でチケットを市民に販売した。市民の不快感が蒸し返したのはいわずもがなだが、口から出かけた怒りを無理やり喉に押し込み、その場を辞した。

 筆者の記憶をたどれば、かつてそのような低質な職員は文化会館にはいなかった。職員は会館を管理するだけにとどまらず、接客業であり、気持ちよく市民にチケットを購入してもらい、ステージ、舞台に満足して帰ってもらう義務を負っている。主催事業ならなおさらで、友の会会員、つまり「お得意さん」ならとりわけ丁重に接しなくてはならない。

 今回の事例を知人に切り出してみたところ、「ひどい職員だな。こういうのが一人でもいると、口コミなどで文化会館や命名権を買った企業のイメージが悪くなる。辞めさせたいぐらいだ」との感想が返ってきた。確かに、そうである。接客マナーのイロハもわきまえない職員が一人いるだけで、著しく評価が下がることもある。ツイッターなどでささやかれる今の時代なら、なおさらだ。

 この問題、実は当の女子職員にとどまる事案ではない。チケットの置き場所を日曜宿直者に伝達せず休日を決め込む同僚、上司。そして、接客教育を怠っている館長。どれ一つ取っても、失格だ。当日がチケットの発売開始日だったことからすれば、会館窓口に一人しか買い求めに来なかったなどあり得ぬ話で、この女子職員の態度によって何人もの市民が嫌な思いをした可能性は高い。

 これら一連の流れについて翌10日、新聞社として館長にメールで見解を求めた。「コラムを含めて記事にするかどうかはともかく、どのようないきさつでこのような不快事案が発生したのか、メールで結構ですから、ご回答いただければと思います」と結んだ。

 しかし、「そんたら、くだらねごど、かもなで」(そんな下らないこと、構うな)とでも思ったらしく返答する気配などまったくなく、文化会館の姿勢について読者の皆さんに一石を投ずるべく館長へのメール送信から3日後の13日、コラム公開に踏み切った。

 筆者も生え抜きの「大館人」である。ゆえに「大館人」の気質は、いささかなりとも承知しているつもりだ。接客に携わる「大館人」の中で、「顧客ファースト」を大切にする例は少ない。「職員ファースト」「従業員ファースト」の意識を持つ企業、職場が大勢を占める。

 そこには「きゃぐ(客)、おめ一人ばりだってな、なんぼでもいるで」(客はお前一人だけじゃない、いくらでもいる)という、鉱山全盛で日本一潤った時代から連綿と続く大館特有の殿様商売的な意識構造がある。これに加え、ここ数年人手不足が深刻なのを背景に、顧客に対する非礼、無礼があったとしても従業員、職員に辞めてもらいたくないという事情がある。

 今回の「職員ファースト」、つまり顧客に迷惑をかけたことよりも当の職員を庇いたいがゆえに館長は、当新聞社への質問を「臭い物に蓋」をして眼をつぶったと容易に察し得る。また、「私はきちんと対応しましたよ」などという女子職員の"弁明"を鵜のみにし、一件落着させた可能性もある。

 指摘や注意を受けた者の少なからずは、反省するどころか相手を恨む。それも、報道現場に長く身を置いた筆者が多くの経験から確信している「大館人」の気質の一つといえる。 これはちっぽけな問題ではなく、「大館人」の多くがこうした意識だから、大館はいつまで経ってもじり貧状態から脱け出せない。

 大館に赴任してきた関東出身の生命保険会社の所長は、かく言った。「大館の人って、本当に既得権益を好みますよね。この点が他と異なるところだと思います」。

 この場合の「既得権益」は「自分たちだけでぬるま湯にどっぷり浸かって気持ちの良い状態」。つまり、彼はこう言いたかったのである。「みんなでやろうよ。みんなで盛り上げていこうよ。みんなでよくしようよという意識に欠ける」と。言い方を換えれば、身内、仲間以外から「ぬるま湯をかまされる」(かき回される)のが嫌なのである。

 今回の文化会館の問題にしても、当新聞社からの質問を無視すれば職員を庇えるし、外部に出ることもなくいずれ火種も消えるとの意識であろう。つまり、そうした意識こそが大館人特有の「既得権益」といえる。

 あらゆる場でそこから脱却しなければ、大館市の人口減少に歯止めはかからず、経済は沈滞し、魅力ある行政施策は生まれてこない。そうした深い問題を今回取り上げた文化会館は無論、行政、地域経済、政治、地域コミュニティの場などあらゆるシーンで孕んでいる。意識改革。大館を魅力のあるまちに変貌させるには、これしかないのは言うまでもない。

 職員一人ひとりが、気持ちのよい誠意ある態度で市民に接する。人の心を豊かにすべき「文化の殿堂」大館市民文化会館は、その精神を軽んじてはならない。なお、保身目的の虚偽や下手な弁明を突きつけてこない限り、コラムで館長の氏名は公表しない。個人批判が目的ではなく、大館に少しでもよくなってもらいたいという願いに基づく苦言であることを読者の皆さんにはご理解いただきたい。