デスクの独り言

第120回・2018年6月28日

アイドル秋田犬

 県内では、秋田犬の減少が一層深刻の度を深めている。秋田犬に半生を費やしてきたベテランたちの高齢化に伴う引退、1犬舎あたりの飼育頭数減少と作出断念、後継者不在がこの1年でさらに顕著なものとなり、交配は極少数のベテラン犬舎で細々となされているにすぎない。とりわけ、秋田犬発祥地の大館市では交配、作出を続けるベテランは5人といまい。

 県内のそこかしこで、秋田犬の散歩風景が見られる。それこそが「秋田犬の里」の理想像であるが、この段階に達してしまうと、もはやどう転んでも実現は不可能だ。それに代わる"奇妙"とも表現し得る現象が、顕在化している。一昨年の大館市を皮切りに同市や秋田市、北秋田市、仙北市など県内数箇所でのアイドル秋田犬の出現。

 「県内で秋田犬が増えそうもないなら、各地域でアイドル秋田犬を作り上げて観光媒体にしていこう」などという行政や観光団体のプロジェクトによるものではなく、たまたま実力紙や公共放送などが記事やニュースで取り上げた秋田犬がアイドル化したにすぎない。

 いわば、アイドル秋田犬の出現は「棚ぼた」以外の何ものでもないが、県内で秋田犬が激減し、産まれる子犬も著しく少ない以上、ある種の"客寄せパンダ"的な立ち位置としてはアイドル秋田犬の存在も無意味ではなかろう。「秋田犬を飼いたいというほどではないが、いたら見に行きたい」と望む人らの"ニーズ"には一応かなう。

 ただ、そこには大きな問題がある。秋田犬の犬質にはピラミッドの頂から最底辺に至るほど、大きな差がある。例えば、毎年5月3日に大館市で開かれる秋田犬展覧会最高峰の「本部展」。全国のベテランたちが心血を注いで作り上げた犬たちが「日本一」を目指して鎬(しのぎ)を削る。各部門の優勝犬たる1席や特優、そして秋田犬のKING OF KINGSたる名誉章。頂点に立つ。それこそが、長年秋田犬に情熱を燃やしてきたベテランたちの最大の誉なのである。

 しかし、秋田県には本部展で1席、特優、名誉章はおろか、上位に食い込める犬がほとんどいない。本来なら、秋田犬発祥地の秋田県にこそ全国に誇れる最高の秋田犬が多数いなければならないのに、である。

 つまり、「良い秋田犬を見たいなら秋田に行け」でなくてはならないにもかかわらず、理想と現実は天と地ほどが開きがあるということだ。「秋田県にいる秋田犬の多くは全国で勝てないレベル」と言われても県内のベテランたちは、腹を立てないのではないか。それが現実であることを、彼ら自身が身に染みて知っているからである。

 県内に点在するアイドル犬たちもまた同様だ。そもそも、秋田犬で観光客を呼び込もうと躍起になっている県や大館市の職員、そして観光関連業者、マスコミ関係者、かつアイドル犬の飼育者ですら、どの秋田犬が優れているのかいないのか、どこを見たらその判断がつくのかなど、知る由もない。とりわけ報道記者のほとんどは不勉強ゆえに実が希薄なPR記事に甘んじ、日々厳しさを増す秋田犬を取り巻く環境に目を向けようともしない。

 秋田犬の良し悪しを見抜くには、長年の経験が求められる。たゆまない勉強や努力、研究心が必要にもかかわらず、県内の一部のベテランを除けば誰も秋田犬について勉強しようともしていないし、学ぶ気もない。「カワイイ〜」。アイドル秋田犬の価値もまたそれだけで十分、と思っている。犬質に対する意識の欠落。そこに、根本的な問題がある。

 よしんば、そうしたアイドル犬目当てに県内外から訪れた観光客のほとんどが「カワイイ〜」と言ってくれたとしよう。秋田犬の良し悪しが分からないがゆえに、満足して帰ってもらえる。しかし、国がテコ入れをしているインバウンド、つまり外国人観光客の目は甘くはない。

 とりわけ欧州の観光客は、秋田犬を深く勉強、またはみずから飼育している場合が多く、「本場秋田県にはすばらしい秋田犬が数多くいるに違いない。この機会にたっぷり勉強して帰ろう」との意欲とともに訪れる。それは、春の本部展に欧州の見物客が少なからず来訪し、上位入賞犬らを貪欲なまでに媒体に収めている光景からも見て取れる。

 「秋田県には、評価できるレベルの秋田犬などほとんどいない」と知ったら外国の観光客は、どれほど落胆するだろうか。やがて、「本当に優れた秋田犬は他県にいる」ことに気づき、それがネット上に発信され、秋田犬目当てのインバウンドなど、県内では成り立たなくなる。

 あえて市名は明かさないが、県内のある市のアイドル犬の一例を挙げてみよう。常識的なベテラン犬舎は、赤毛と虎毛を交配することはない。本来、虎毛の秋田犬は黒と白の縞(しま)模様で構成されるのに対し、赤毛と虎毛を交配すると、白くあるべき部分が赤い「赤虎」が産まれる。「汚い色」だとしてベテランのほとんどは赤虎を好まないし、そもそも作出しようとしない。

 あえて交配するのは、汚い赤虎で産まれたとしても、虎毛とは異なる赤毛特有の顔の子が産まれる確率がきわめて低いながらも期待できると踏んだ場合に限られる。つまり、赤毛と虎毛を交配するのは真に研究熱心なベテランか、「後先考えずにただ交配しただけ」の2つに1つだ。

 今や市民などを集めて誕生会を開くほどの"超人気者"になってしまった赤毛と虎毛の同胎犬(同じ日に同じ母親から産まれたきょうだい)は、まさに赤と虎による"タブー"な交配で生を受けた。無論、犬質は語るべくもない。

 秋田犬の見方を知らない人たちは異口同音に「カワイイ〜」と、彼らきょうだい犬の頭を撫でる。しかし、欧州を中心とする外国人観光客や秋田犬に造詣の深い日本人観光客は「マジ?! 赤と虎、交配しちゃったの?! やっちゃうかなあ、そんなの」と驚くだろう。そうした秋田犬のイロハも知らないがゆえに、ある市は赤と虎のきょうだい犬を作出者から市民の血税で購入し、看板犬に仕立てあげてしまった。

 秋田犬が県内で激減している由々しき現状の中、百歩譲ってアイドル犬を増やしていくことを是としたとしよう。インバンドでも恥をかかない唯一残された道は、本部展で上位に食い込める秋田犬をアイドル化するという方策だ。それによって秋田犬発祥県、秋田の面目はかろうじて保てる。上質な秋田犬を現地秋田で見たい外国人観光客も、絶対数はいかんともしがたいとはいえ、ある程度満足して帰ってくれる。

 そのためには、一にも二にも県や関係市町村の職員が秋田犬の良し悪しを見抜く目を養わなくてはならない。秋田犬は、途方もなく奥が深い。ある程度犬質を見抜けるようになるには、複数の秋田犬と毎日対面してさえ5年以上はかかる。とりわけ、秋田犬発祥地、大館市の福原市長をはじめ職員には「秋田犬の本質を何も知らずに観光媒体にするなど、笑止千万。一から勉強しろ」と申し上げたい。

 数年前に他界した、長年にわたって大館市の秋田犬界をけん引したリーダーは晩年、嘆いた。「大館には、全国に誇れる秋田犬はすでに存在しない。これでは、秋田犬発祥地が泣く」と。その"遺言"が、今の大館市と秋田県の現実を物語っている。