デスクの独り言

第119回・2017年11月22日

嗚呼、横綱

 今、各界の"渦中の人"と言えば暴行問題の日馬富士だが、同じ横綱でも今コラムでは稀勢の里を取り上げてみたい。1度も優勝経験がなかった彼は24年初場所に大関に昇進した際にも疑問符がついたが、5年余、37場所にわたって1度も陥落することなく乗りきった。しかし、大関37場所目となる今年初場所にようやく初優勝を果たしただけで、横綱になるべき力量がまったく備わっていないにもかかわらず、事実上、横綱審議委員会と日本相撲協会理事会が横綱に祭り上げてしまった。それが、彼の悲劇の始まりだ。

 横綱として初土俵となる今年春場所に連覇を飾り、全国の大相撲ファンは19年ぶりの日本人横綱に大きな期待をいだいたことだろう。春場所が"薄氷"の頂点だったのを、下駄を履かせて評価したとしても、夏場所は6勝5敗4休、名古屋場所は2勝4敗9休、秋場所は全休と3場所とも横綱の責任を一切果たさなかったのに続き、今年の締めくくりとなる今場所は4勝6敗(不戦敗を含む)を経てケガを理由に11日目から休場。

 大関時代も稀勢の里は、後半まで優勝に絡みながら、終盤に崩れるケースが多かった。ゆえに、優勝から見放されていた。だが、前相撲を除く初土俵の14年夏場所から今年春場所までの約15年間、ケガで休場したことなど1度もない。にもかかわらず、横綱2場所目の今年夏場所以降は4場所連続の休場。秋場所の全休はともかく、それ以外は負け越しが懸念されるタイミングで途中休場している。

 横綱の負け越しなど不名誉きわまりなく、過去にはいたのだろうが、少なくとも平成に入ってからは聞いたことがない。つまり、負け越しの恥をさらすぐらいならケガをしたことにして休む、と勘繰られても仕方がないということである。馴染みの医師なら、診断書などどうとでもなろう。

 小結まで陥落した元大関の琴奨菊などのように、大関なら番付を下げても相撲だけは取り続けられる。しかし、横綱はそれが許されない。あまり"醜い"状態が続くと、引退以外に道はない。横綱になるべき力量がまったく備わっていない力士がなまじ祭り上げられてしまうと、早晩危機に直面する最たる例が稀勢の里であろう。

 今場所、負け越して引退を表明するか、休場で何とか首をつなぐか。4勝5敗で黒星先行となった9日目時点でそう考えた相撲ファンが全国に数多くいたことは容易に推察できる。結果、10日目を不戦敗として11日目から休場。「がんばれ稀勢の里」と応援してくれる相撲ファンばかりではない。「日本人横綱の恥さらし。やめてしまえ」と、テレビの前で罵声を浴びせる相撲ファンも少なくなかろう。

 そもそも横綱としての彼は、たとえ白星でも危なっかしい勝ち方しかできない。大関時代より格段に安定感に乏しく、多くの場合、黒星と白星が表裏一体、つまり薄氷の白星である。白鵬と比べるべくもないのは無論、横綱たる相撲を見せられずにいる。これ即ち、横綱になるべきではない力士が横綱になってしまった現実の露呈以外の何ものでもなく、「1日も早く日本人横綱を」と願った横綱審議委員会最大の誤算であったことに疑いの余地はない。

 稀勢の里自身、「自分にはまだ横綱の力量が備わっていないため、昇進は辞退いたします」などという同委員会の面に泥を塗るような返事などできようはずもなかったろうし、角界に飛び込んだからには頂点に昇りつめたいという強い願いもあったろう。横綱として恥ずかしくない相撲を取ろうと、己に誓ったに違いない。しかし、格下力士以上に横綱は結果がすべていう重責には抗いようもなく、ほかでもない彼自身が最も苦しんでいるはずだ。

 場所明けに引退を表明するとは考えにくく、来年初場所にすべてが決するのではないか。引き続き全休、または黒星先行で無様に途中休場するなら、さすがにこれまで"優しかった"ファンですら「それでも横綱?」と疑問符を突きつけ、何よりも彼を祭り上げた横綱審議委員会と日本相撲協会理事会が角を立てるだろう。たとえ、十両まで落ちたとしても横綱にさえならなければ、気力、体力が続く限り大相撲の舞台に立っていられる。横綱として4場所連続休場という過酷な現実に直面し、彼の脳裏には何が去来するのだろうか。