デスクの独り言
                           
第11回・13年7月4日

灯火が消えた

大館の街から、また一つ灯火(ともしび)が消えた。老舗デパート「正札竹村」。「(経営が)もう危ない」とは、以前から耳にしていたことだが、本当に灯りが消えてしまうと何とも寂しい。高校生などを含めてコンビニ世代の若者たちはどう思うかはわからないが、一定の年齢(例えば40代以上)の市民にとって正札竹村という存在は、デパートというだけではない、「そこになくてはならないもの」だったように思える。ある意味では市役所以上に「大館の顔」だったのではないか。それが失われてみると、ぽっかりと空洞ができてしまったようである。

30数年前に正札竹村のレストランで食べたお子様ランチ。数百人が座れるそのレストランはいつも混みあっていて、席が空くのを半ば並ぶようにして待っていた。家族でそのレストランに来るのが楽しみで、まだ幼稚園児だった私にはこんもりとしたチャーハンに日本国旗を刺したお子様ランチがお気に入りのメニューだった。そして、忘れてならないのは正札竹村の屋上には小さな遊園地があったこと。10円玉を入れると前後に動き出す馬もあったし、市街を一望できる望遠鏡もあった。なぜか、それらの光景を今も忘れずにいる。

大学入学で数日後に上京するという日、東京での暮らしに当面必要なものを正札竹村で買い揃えた。その時、まだ学生だけど必要なこともあろうと母が初めてのネクタイを買ってくれた。私が選び、店員さんに包装してもらった。花柄をあしらった品位を感じさせる包装紙。その包装紙はいつまでも変わらなかった。社会人になって一丁前にお中元やお歳暮を贈るようになると、決まって正札竹村の贈答品コーナーに出かけた。ある高校長の言葉が思い出される。「お中元やお歳暮は、贈るも貰うも正札竹村ですよ。何ていうのかな、ステータスなんだろうね。正札竹村の包装紙の贈答品が届くと贈った方の品格みたいなものが伝わってきて、こちらまでウキウキしてしまう。○○や○○の包装紙では、同じ品物でもちゃちな感じがしてうれしくないんだよ」と。若い世代は別として、中高年層になるとそれは本音なのだ。

今まさに断腸の思いであろう岩谷隆史社長には、部長時代に取材で何度かお目にかかった。物腰の柔らかい人だった。取材に対しては一つ一つ丁寧に答え、写真撮影でもこまやかな配慮をしてくれた。みずから贈答品コーナーに立って接客をし、お客さんに深々と頭を下げていた。150年続いた老舗中の老舗の看板を自分の手でおろすことになろうとは、当時の岩谷さんは想像だにしなかったに違いない。

前社長の竹村博義氏宅にもお邪魔したことがある。あの時は竹村社長への取材でなく、何かのサークル活動の取材だったのか、夫人への用向きだった。大館随一の名門中の名門なのでいかほどの豪邸に住んでいるのかと思いきや、いざお邪魔してみると豪邸などと呼べる屋敷ではなく、むしろ質素だったのに驚かされた。その質素な家もまた人手に渡るのかと思うと、何とも気の毒でならない。

郊外型大型スーパーやコンビニの攻勢など時代の趨勢に対応できる経営体質を構築ではなかった正札竹村の経営陣の責任は大きい。しかし、結果的に倒産に追い討ちをかけたのは東北経済産業局、つまり経済産業省、もっとひらたくいえば政府だったのかも知れない。正札竹村の関連会社である正札竹村友の会が発行している商品券が割賦販売法に抵触の恐れあり、とのことで、東北経済産業局は先月27日に新会員の契約禁止命令で7月18日に聴聞会を開く旨の公示をした。28日付の新聞等でその事実を知った会員らの多くが続々と脱会し、一気に正札竹村の屋台骨を揺るがせた。

掛け金への不安から脱会に走る消費者の心理は理解できる。「結果的に東北経済産業局が倒産の糸口になったのではないか。どうしても公示という手段を取らざるを得なかったのか」という市民は少なくない。割賦販売法第44条に基づく措置。しかし法律はどうあれ、東北経済産業局が「公示」という手段を取ったことによって、かろうじて正札竹村にとどまっていた運転資金が一気に流出し、骨抜き状態にしてしまったことは否定のしようがない。同局の担当課職員は「倒産は私らの本意ではないのです。大切にしたかったのは消費者の保護です」といった。確かに、彼らは公務を忠実に果たしただけなのだ。それが結果的に倒産に拍車をかけてしまった。

ふるさとの百貨店を倒産に追い込んだ責任の一端は、私ら消費者にもあるのかも知れない。買い物といえば御成町や郊外の大型スーパー、コンビニに足を運び、最近は正札竹村のエスカレーターに乗ることすらなくなった、という消費者は意外に多いのではないか。要するに、古びたデパートなど見向きもしなくなったのである。平日に入ってみると従業員が気の毒なほど客の姿がなくて、と誰かがいっていた。極度の販売不振。ふるさとのデパートを大切にする気持ちが私ら消費者に少しでも残っていたら、正札竹村は今月、21世紀最初のお中元コーナーを開設できたかも知れない。20世紀の遺産と化した正札竹村。遺されたあの建物を最大限に有効活用しない限り、大町通りもまた、闇の中に沈んでいくのは避けられない。