デスクの独り言

第107回・2014年6月5日

凶悪犯罪にみる言葉 

 人命が奪われた凶悪犯罪をテレビのニュースで見るにつけ、違和感を禁じ得ないことがある。そう感ずるのは本コラムの筆者だけなのか、あるいは全国にも少なからずいるのかは定かではない。が、コラムで取り上げてみる価値はあるのではないか、と考えた。

 凶悪犯罪は毎日のように、国内のどこかで発生している。"病んだ現代社会"を反映し、事件そのものも複雑化する傾向にある。冒頭の「違和感を禁じ得ない」ことについて、殺人事件を例に挙げてみたい。尊い人間の生命が凶悪犯によって奪われ、まだ被疑者の検挙に至っていないとする。テレビのニュース番組で、付近の住民などにマイクを向け、目と鼻の先で凶悪事件が起きたことに対して心境をインタビューする光景がある。

 その際、異口同音に口にするのが「怖いので、犯人が逮捕されるまで夜は出歩かない」「子どもを一人で外出させられない」などといった言葉で、「ご本人やその家族をお気の毒に思う」「亡くなった方のご冥福を祈るとともに、犯人の早期逮捕を願う」などの、いわば犠牲者や親族を悼む言葉は、終(つい)ぞ聞いたことがない。その言動に、自分やわが子が安全ならそれでいいのか、犠牲者に対する哀悼の気持ちはないのか、と思ってしまう。

 あるいは、突然の不幸に遭遇した人に対する哀悼の意をテレビカメラの前で口にしている人はいたのかも知れない。それを「不用」と考えてテレビ局が編集で切り捨てているのかも知れぬ、と憶測してみたりもする。

 海外のニュースに可能な限り目を通すよう心がけているが、殺害現場に花を手向けている人などがマイクに向かい、「本当にお気の毒なことです。と同時に、犯人が許せません」といった答え方が、日本以外ではごく普通のように感ずる。

 これは、犯人がまだ逮捕されていないことへの恐怖感や自分の身の安全よりも、突然命を奪われた人に対して真っ先に哀悼の意を示しているもので、外国人は往々にして「まだ犯人が逮捕されていないので不安」など、己の身の安全を優先するような言動はしないように思える。まったくないわけではないだろうが、少なくとも聞いたことがない。

 テレビ局が編集段階で「お悔やみ」部分を排除していないと仮定すれば、日本人は概して自分や家族の身の安全を優先した発想をする、ということになるのであろうか。無論、こう切り返す人もいよう。「誰でもお悔やみの気持ちは持っている。マイクに向かって、それを口にしないだけだ」と。

 果たしてそうだろうか。咄嗟にマイクを向けられた際、大方の人間は最も強く思っていることを、真っ先に発するのではないだろうか。気の毒だという気持ちが強ければ「お悔やみを申し上げたい」と言うであろうし、自分や家族の安全が最優先なら「怖い」などと言うのではないか。

 人それぞれの勝手であるにせよ、マイクを向けられたら「亡くなった方のご冥福を祈ります」と何よりも先に発してほしい。そう願いつつ、凶悪犯罪のテレビ報道に目を投じている。