デスクの独り言

第105回・2013年4月8日

町長選の敗北 

 県内6市町長選は、7日投開票が行われた。秋田北地方は北秋田市と小坂町。立候補者の中に、出馬表明をした時点で失望を禁じ得なかった人がいる。今回の敗北で政治生命が終わったのではないかとすら思えるが、筆者自身、今後への期待が大きいため、コラムで取り上げてみる。

 当時、別の新聞社で小坂町を担当していた筆者が川口博氏(65)に初めて会ったのは、年号が昭和から平成に変わろうとするころだった。俗に言う「馬が合う」ということだったのかも知れない。「さし」で、または、知人を挟むなどして盃を交した。「○○さん、そろそろ河岸(かし)を変えよう」。そろそろ別の店へ行こう、という意味合いの"台詞"が彼の口から飛び出すと、気持ちのよい酒だな、と思ったものである。

 平成2年、川口氏は木村實氏の引退に伴って町議2期目半ばにして町長選に挑み、激戦の末、三つどもえの戦いを制して初当選を果たした。町長になっても川口氏とは盃を交わし、筆者の"ホームグラウンド"である大館市まで出向いてもらい、居酒屋から始まり、スナックを梯子した。記事で川口氏に肩入れをしたつもりはなかったが、そのころになると「○○さんは、川口町政の陰の助役じゃないか」などと一部の職員らが囁くようになっていた。

 川口氏が町長に初当選した直後のことである。当時、総務課長などを経て前町政の収入役だったK氏が筆者にある相談を持ちかけた。「木村町長に収入役を任命された私は、新町政となった今、職を辞するのが筋です。その旨、川口町長にあなたから伝えてもらえないでしょうか」と。

 自分で辞意を表明すればいいことなのだが、川口氏と同様、筆者と「馬が合う」K氏の"言伝(ことづて)"をほどなくして、行きつけのスナックのカウンターの隅で肩を並べつつ、川口氏に伝えた。彼は、耳打ちでもするかのごとく、小声で言った。「助役をやってほしい、と○○さんから伝えてほしい」。これではまるでメッセンジャーだと思いつつも悪い気はせず、翌日、K氏に川口氏の"気持ち"を伝えた。

 収入役辞任を受理されるものとばかり思っていたらしいK氏は、「私に助役を…」と口ごもるように言った後、「微力ながら誠心誠意、務めさせていただきます」と眼を輝かせた。なおもメッセンジャーの"役割"を果たすべく、同じフロアの町長室のドアをノックし、まだ暖まっていない椅子に腰かける川口氏にK氏の返事を伝えると、「そうですか。受けるそうですか」と川口氏は満足げに笑みを浮かべた。

 町長選後、初議会本会議。川口氏が助役の人事案件を提案し、無記名投票の結果、大半の議員の同意を得た。2階議場の階段を下り、1階廊下で待つK氏に「同意を得ましたよ」と伝えた。「そうですか」と胸を撫で下ろしつつ、「何人の議員に同意してもらえなかったのでしょうか」とKさんが不安を口にすると、「3人です」と答えた。「不徳の致す限りです」と申し訳なさそうに言ったK氏は以後、体力と気力が続く限り、川口町政の屋台骨を支えた。

 筆者は6年間通い続けた小坂町を離れて以降、川口氏と疎遠になってしまったが、5期目半ばで町長職を辞しての知事選挑戦、無所属で初当選した21年8月の衆院選、民主党から立候補して金田勝年氏に雪辱を果たされた昨年暮れの衆院選と、交流はせずとも"政治家 川口博"の軌跡を見守ってきたつもりである。

 「後援会の要請を受けた」「現町政になってから町は停滞している」が大義名分であったにせよ、筆者が交流させていただいたころの川口氏なら、今回のような無茶で"急ぎ働き"的な戦(いくさ)は仕掛けなかったろう。

 そもそも5期連続、うち4期の長きにわたって連続無投票当選をなし得たということは、全盛期の川口氏は敵なしで、挑んでも勝ち目はないと町内の誰もが考えたからにほかならない。しかし、町長在職時代に時おり、小坂町を訪れて町民の声を聞くと、「今はちっとも『はずむ小坂町』ではない。町政がマンネリだ」との批判が複数聞かれた。

 衆院選初当選後、民主に入党したのは無所属よりは与党に所属した方が、国政に自分の声が届くと判断したためであろうし、それは十分理解できる。そして、同党から出た昨年暮れの衆院選でかつて勝利した金田氏に、3万4,000票余の大差で敗北したのは記憶に新しい。

 今回、秋田市長選で現職の穂積志氏(56)に1万2,000票余の大差で敗北した寺田学氏(36)も同様のことが言えるが、「一党一派に偏らない」などと口にし、民主を離党して首長選に挑んでいる。「一党一派に偏らない」などとは詭弁に過ぎず、民主党籍のままで立候補したらきわめて不利との思惑が絡んでいることは、有権者の少なからずが察する。

 いわば、厳しい局面を迎えている民主党を見限り、「何とか生きる道はないか」と己の栄達のために首長選を選んだと思われても仕方がない。まして、首相補佐官という大任まで託された寺田氏ならなおさらで、民主に新たな道が開けるまで同党と浮沈をともにすべきだったろう。

 かつて自民党県連会長だった北秋田市の津谷永光氏(61)=今回2期目当選=も初めて市長選に立候補した際に自民から離党して無所属となったなど、「一党一派に偏らない」ではなく「一党一派に偏っていると思われたくない」がゆえに離党するのは、首長に立候補する者の慣例ではある。

 しかし、川口、寺田の両氏とも昨年暮れの衆院選で敗北を喫し、事実上後ろ足で砂をかけるように離党して衆院選からさして間もない首長選に立候補したのはいかにも露骨で、「衆院選でだめだったから、今度は首長選か」と有権者に思われても仕方がないし、実際にそう考えられたからこそ反発として票が集まらなかったのであろう。

 競り合った結果、川口氏は62票の僅差で現職に敗れたわけだが、勝てなかったこと自体、5期連続当選、うち4期連続無投票の向かうところ敵なしだったころとは比較にならぬほど吸引力は落ち、「川口さんがまた町長? もういいよ」の町民意思の表れであることは言うまでもない。

 だからこそ今回の町長選には立候補すべきではなく、民主党と浮沈をともにするという気概を持ちつつ、いずれ次の機会が訪れる国政選挙を待つべきだったろう。冒頭、政治生命が終わったのではないか、と述べたが、川口氏ほどの政治家がこのまま終わっていいはずはない。今は真摯な気持ちで現実を受けとめ、いかにすれば国のため、国民のために尽力できるか、を考え続けるべきであろう。それが、かつて国政に送り出してもらった者の責任と義務ではなかろうか。