デスクの独り言

第104回・2012年8月6日

子どもが子どもを産む 

 常日頃思っていることがある。それは誰もがたびたび目にする出来事で、象徴的な光景を再び目のあたりにしたのを機に、コラムで取り上げてみることにした。

 大館市内のラーメン店での出来事。8月4日夕方、ざっと100人は入れるであろうそのラーメン店は、混み始めていた。友人と食事をしていると、2、3歳ほどの女児をつれた20代と思える若夫婦が、ほんの2メートルばかり離れたテーブルについた。

 若夫婦がメニューを見て注文品を決めようとする間、女児は一時もじっとすることなく動きまわり、数歩の位置にあるカウンター席の回転椅子を次々と回している。「何やってんのよ、戻ってきなさいよ!」。周囲の客や店員にも聞こえる声で、母親が半ばヒステリックに叫んだ。立て続けに2、3度叫んだが、一向に親の叱責に耳を傾ける様子もない。いや、「叱責」という表現はあたらず、「キレた」が妥当かも知れない。「叱責」は子への思いやりがあり、「キレた」はその片鱗すらない。父親はそうした様子にまったく無頓着で、声ひとつ出さなかった。

 そうこうするうちに、女児はあらかじめ店員が運んできたテーブル上のコップを床に落とし、勢いよく割れる音が店内に響いた。すぐさま、店員がかけつける。「何、やってんのよう。割れたじゃないよう!」。若い母親が再びヒステリックに叫んだ。店員が割れたコップを黙々と片付ける。むかっ腹が立ったのか、若い父親が出し抜けに叫んだ。「おとなしくしろ、つってんだろ!」。

 ラーメンのスープをすすりつつ、友人がつぶやくように放った。「謝らなかったね」。恐らくは、たまたま居合わせた10数人の客の何人かは、同じことを思ったろう。

 この場合、常識のある親なら、真っ先に店員に伝えなくてはならぬ言葉がある。「すみません。子どもがコップを割ってしまって」。それに対して、「いいんですよ。それより、おケガがありませんか」となる。最低限の礼儀ともいえるその部分がまったく欠落し、不快感のみを子どもにぶつける若夫婦。彼ら自体に大切な"何か"が欠落し、ゆえに子どもも日常的に"躾不能"に陥っている印象を受けた。大きなお世話だろうが、この子はどう育っていくのだろうか、と思った。自分が過ちをおかしても、社会に詫びない大人。そうした親の行動を子どもに見せれば、子はそれを良しとする大人になる。当然のことながら、親が良い手本を示してこそ、子は常識のある大人へと成長する。

 すでに亡くなったが、大館署の元名物補導員だったある女性の言葉が思い出される。温泉好きだったそ彼女は週に2、3度、市内の温泉に脚を運んでいた。「今の若い母親は、必要最低限のマナーが素養として身についていない」とたびたび話していた。若い母親が幼児をつれて温泉に来る。初めて湯舟に浸かる際、風呂桶なりシャワーなりでざっと湯をかけて体を清めるのが常識だが、子どもが体を洗うことなく入ってもほとんどの若い母親は何ら注意することもなかった。

 他人の子どもに「体を洗ってから入りなさい」と母親に代わって諭すと、母親のほとんどが「おめえの子どもじゃねえだろ」的な形相で睨みつけたという。「『うるせえ、くそババア!』と、キレた母親に罵声を浴びせられたこともあった。「ああいう母親のもとで、子どもはどう育っていくんだろうね」と、その人がしみじみ語ったのを今でも憶えている。

 ラーメン店での例、そして元名物補導員がたびたび経験した例。それはごく日常的で、現代ではさして珍しいことではなかろう。つまり、こういうことではないだろうか。「子どもが子どもを産む」。精神面、人格面でまったく成熟せぬまま結婚し、子どもを産む。戦時中、あるいはそれ以前は相手がどんな人間かも知らずに、親が決めた縁談に従い、10代で結婚した。それが普通だった。しかし、その多くは飢えなどにあえぎながらも、立派に子どもを育てたろう。

 対して、現代は飽食の時代。よほどのことでもない限り、戦時中のようなひもじさを経験することもない。そして、「スマホ」に代表される携帯電話が"必需品"となり、誰とも話すことなく、何時間でも画面を見つめていられる若者の姿をごく普通に眼にする。そうした光景に、「何かが大きく変わった」というより「何かが大きく欠落してしまった」と感ずるのは筆者だけだろうか。

 人と人との"かかわり"の希薄さが、人間的成熟をどこかに置いてけぼりにしたまま結婚し、子を産む。つまり、「子どもが子どもを産む」現象が全国至るところでみられるようになったのではないか。飲食店であろうが、スーパーマーケットであろうが、遊園地であろうが、自分の思いどおりにならず、子どもに対してキレている若い母親の姿はあまりにも多く見かける。その姿は、否が応でも周囲に不快感を与える。

 エスカレートした結果が、虐待。全国の事件例をみれば、虐待は母親だけ、あるいは父親だけ、さらには父母がともにわが子に虐待を加えるケースもあり、未成熟なのは「若い母親」だけに限ったことではなく、男性も同様であろう。「子どもが子どもを産む」。皆さんは、どうお考えだろうか。