デスクの独り言
                           
第10回・13年7月2日

田中さんが逃した機会

1日夜、8カ月ぶりにコンサートを鑑賞した。秋田県田代町在住の彫刻家、松田芳雄氏とその支援者らが奔走して実現にこぎつけた「花岡事件慰霊のゆうべ」。ポスターを掲載できたのが開催のわずか1週間前。400人を動員できる大館市民文化会館中ホールに約300人の市民が足を運んだ。取材を通していつも痛感することだが、大館市の場合、演歌の興行などごく一部のプロモート以外、会場を満杯にするのは至難の技である。にもかかわらず、準備期間があまりにも乏しい状態で"硬派"のコンサートに7割以上の席が埋められたのだから、おおむね「成功」といえるだろう。出演者は日本、中国、韓国、セネガル共和国と国境がなく、「人種を超えた」というのはまさにあのようなコンサートだと思うし、すばらしい内容に観客全員が感動を共有できたのではないか。何にもまして、松田氏らの苦労が報われたのはコンサート終了直後に花岡事件の遺族から「花岡事件のためにこんなにすばらしい演奏をしてもらい、心からありがとう」という言葉が発せられた瞬間ではなかったろうか。

前日に大館市花岡の十瀬野公園で開かれた中国人殉難者慰霊式に、戦時中中国人を使役した鹿島の役員が初めて公式参列した。昨年11月に、鹿島が5億円を拠出して被害者救済基金を設立することで生存者らと鹿島との和解が成立。しかし、鹿島側はその拠出について「補償や賠償の性格を含まない」と事実上謝罪を避けた形で、慰霊式の場で遺族の1人が「補償や賠償の性格を含まない」とするコメントを取り消すよう求めたが、役員は「会社にその意向を伝える」と答えるにとどめた。遺族らにすれば不満が解消されない状態で"痛恨"の花岡を後にするところだったのだが、コンサート終了後に遺族ら全員が満面に笑みをたたえて会場に拍手を返す光景は、気の休まることのない彼らにとってほんの一瞬であれ、あのコンサートだけが心の平和につながったと確信できる。そうした意味では、「花岡事件慰霊のゆうべ」は、毎年大館市が開催しそのたびに遺族らが肉親を奪われた悲しみを回顧しなければならない殉難者慰霊式以上に大きな価値と、人種間の交流があったと思う。

それにしても田中真紀子外務大臣は、今回のコンサート実現を"縁の下"で支えてきた人々を深く落胆させた。昨夜、コンサート会場でその1人に訊いた。「結局、田中さんからは祝電も何も届かなかったのですか?」と。その人は、力なくかぶりを振った。「日中友好の上できわめて意義のあるコンサートなので、ぜひおいでいただけませんか。スケジュールの都合でむずかしいならば、せめて祝辞の文だけでもちょうだいできませんか」と、松田氏が秘書を通じて依頼したのが外務大臣就任直後の4月。秘書からは「きちんと本人に伝え、本人の意向をお伝えします」との返答を得たというが、それすら空手形に終わった。

松田氏の言葉が思い出される。「私だって日展の審査員を務める芸術家だ。国会議員に人脈ぐらいはある。けどね、そうした人脈を駆使して田中さんに来てもらったところで、それは民主国家を意味することにはならないと思うんだよ。一国民として外相にお願いする。事の重大性をきちんと認識する外相は多忙なスケジュールを調整して会場に来てくれる。それが無理なら、せめて祝辞ぐらいは届けてくれる。一国民の願いを大臣が誠意を持って聞き届けてくれることを証明できれば、日本も捨てたもんじゃないと思うんだよ」。実現していたら、田中さんは一国民の声を大切にし、日中友好関係もきわめて重要なものと認識している立派な大臣、ということになったのであろが、結局、松田さんらコンサートの関係者らにもたらしたのは失望だけだった。

6月30日の中国人殉難者慰霊式の様子は、午後7時からのNHKニュースでも全国に報道された。連日のすったもんだで、ほとんど四面楚歌に等しい田中外相は、そうしたニュースすら知らぬまま日々を過ごしているのかも知れない。それとも、もっと重要な問題が山ほどあるので、そんなものには構ってなどいられないということだろうか。今のところ国民のウケは悪くないというが、一国民の声を無視する今回のようなほころびは、やがて大きな裂け目になっていく。何にもまして残念なのは、ほんの10分でも田中外相がコンサート会場にいれば中国人遺族に日本政府としての誠意が伝わり、間違いなくそれは中国の首相にも伝わり、日中友好関係の潤滑油になったであろう機会がみすみす失われてしまったこと。「田中さんが来るということの波及効果はそれほど大きなことなんだよ」と1月前、松田氏は話していた。田中さんは真の政治家なのか、単なる政治屋なのか。全国の熱烈な支持者は反論するかも知れないが、現時点では後者といわざるを得ない。